そういえば確か昔読んだ山本七平(AKAイザヤ・ベンダサン:これは「いざや便出さん」から来ているという)の本だったか、日本の災害はみな一過性だと書いてあった。地震、台風、雷などもそうだし、合戦ですら天下分け目の関ケ原の合戦が半日で終わったもんだから、日本人は短期戦には強いが長期の持久戦となると弱いという。
確かに日本のサッカーも先行逃げ切りでないとなかなか勝てない。太平洋戦争も最初の三か月は破竹の勢いだったが、その後じり貧になると立て直すこともできずにずるずるといってしまった。コロナでもその弱点が出てしまうのか。
それでは「早苗舟」の巻の続き。
名残表。
七十九句目。
尚云つのる詞からかひ
大水のあげくに畑の砂のけて 利牛
「あげく」は連歌や俳諧の挙句からきた言葉だが、なぜか結果が悪いという意味で用いる。
上流から流れてきた水に含まれる砂質土が川の周りに滞積すると、自然堤防が形成されるが、川の水が増水すると、今とは違い、堤防を意図的に決壊させて水を緩やかにあふれさせることで被害を小さくしようとしたという。
だから、堤防を決壊させたときに自然堤防を形成する砂質土が畑に流れ込んでくるのは、よくあることだったのだろう。ただ、決壊させる場所によって誰の畑のほうに砂が多いとか、口論になることも多かったのではないかと思う。
八十句目。
大水のあげくに畑の砂のけて
何年菩提しれぬ栃の木 孤屋
「何年菩提」は中村注には「世に久しいこと。ただ長い間という意味にも用いる。」とある。「菩提」は単なる強調の言葉か。
たびたび大水に見舞われても、それをものともせずに生き残っている大きな栃の古木がある。
八十一句目。
何年菩提しれぬ栃の木
敷金に弓同心のあとを継 野坡
「敷金」は今日では家や部屋を借りるときに預ける金のことだが、これは比較的新しいものらしい。
江戸時代で「敷金(しききん、しきがね)」といった場合は、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 売買・貸借などの契約の際の証拠金。手付け金。また、不動産貸借の際、将来生ずるかもしれない損害の補填の意味で、あらかじめ預けておく保証金。しききん。
※浮世草子・日本永代蔵(1688)五「敷銀(シキカネ)にして物を売(うる)共、前より残銀かさむ時は、見切て是を捨(すつ)べし」
② 婚姻や養子縁組などの際の持参金。しききん。
※浮世草子・懐硯(1687)五「入聟の敷銀(シキガネ)にて此家を継がすべき事をたくみ」
③ 香道で、香を炷(た)くときに敷く薄い金銀の板。銀葉。
※浮世草子・椀久二世(1691)下「右の手に香箸、左に敷銀(シキカネ)を持ちて、名香聞飽て鼻血たらし」
[語誌]中世では「敷銭(しきせん)」、近世に入って上方では「敷銀(しきがね・しきぎん)」、江戸では「敷金(しきがね・しききん)」といった。
の三つが記されている。この場合は「あとを継(つぎ)」とあるから、②の養子縁組の持参金であろう。
「弓同心」は弓足軽という徒歩で弓を射る弓兵のこと。鉄砲が飛び道具の主流になってからはやや影が薄くなったが、高度な技術を要することには変わりない。
持参金をもって弓同心の後を継いで、代々弓の道を受け継いでゆく姿が、屋敷の大きな栃の古木に例えられる。この場合の「菩提」には、先祖の霊を弔う意味も読み取れる。
八十二句目。
敷金に弓同心のあとを継
丸九十日湿をわずらふ 利牛
「湿」は中村注には「湿疹、ここでは疥癬などの皮膚病。」とある。ほかに「湿」とつく病気には、梅雨時などに体がだるくなる湿邪、リューマチを意味する風湿がある。この場合は湿邪が夏の三か月続いた可能性もあると思う。
八十三句目。
丸九十日湿をわずらふ
投打もはら立ままにめつた也 孤屋
「投げ打つ」は捨てる、放棄するという意味。「めつた」は滅多で思慮もなくという意味。
湿邪の時は些細なことにもイライラしては何もする気がなくなる。
八十四句目。
投打もはら立ままにめつた也
足なし碁盤よう借に来る 野坡
前句の「投打」を囲碁の投了のこととする。負けかかると粘ろうともせずにすぐにかっとなって投了するような囲碁の打ち手はまだまだ初級で、自分の愛用の盤もなく、足のついてない簡易碁盤をしょっちゅう借りに来る。
0 件のコメント:
コメントを投稿