2020年7月29日水曜日

 最上川は五月雨を集めすぎて大変なことになっている。大石田といえば、

 さみだれをあつめてすずしもがみ川 芭蕉

を発句とする歌仙興行の行われた一榮宅のあった所だ。
 それでは「有難や」の巻の続き、挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   鍛冶が火残す稲づまのかげ
 散かいの桐に見付し心太      露丸

 「心太」はここでは「こころぶと」と読むようだ。「太」を「てい」と読んで「こころてい」となって、それが「ところてん」になったとも言われる。
 意味は分かりにくい。鍛冶が残していった火に当たってちょうどいいくらいの夜寒になって、空には稲妻がちらちらと見える頃には、心太もあまり食べなくなりこうして時は移ろいで行く、ということで、桐の葉の散る甲斐を見つけた、ということなのだろうか。
 三十二句目。

   散かいの桐に見付し心太
 鳴子をどろく片藪の窓       釣雪

 鳴子は田畑を鳥獣から守るための音を立てる板。
 「片藪」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 道に沿って片方にある藪。
  ※宇治拾遺(1221頃)四「かたやぶにかくれゐて見れば、鳳輦の中に、金泥の経一巻、おはしましたり」

とある。
 窓は明かり取りとか換気用の窓で通りの方に面して開いているのだろう。通りの向こうは藪で鳥獣除けの鳴子が仕掛けてある。
 そこに住んでいる人は慣れているのだろうけど、旅人は何が起きたのかとびっくりする。
 三十三句目。

   鳴子をどろく片藪の窓
 盗人に連添妹が身を泣て      芭蕉

 盗人になってでも妹を食わせてゆこうとする兄と、それを心配そうに見守る妹、そういう設定だろうか。
 鳴子が鳴って何か悪いことが起きたかと驚く。
 三十四句目。

   盗人に連添妹が身を泣て
 いのりもつきぬ関々の神      曾良

 奥州街道の白河の関には住吉明神と玉島明神を祀った二つの明神社がある。同じように古い関所には神社があったのだろう。不破の関には関比男明神が祀られていた。逢坂の関にも関明神上下社があり、今は関蝉丸神社になっている。
 盗みを犯して関所を越えて逃げようとする兄と、それに従う妹、関の神々への祈りは尽きない。
 三十五句目。

   いのりもつきぬ関々の神
 盃のさかなに流す花の浪      会覚

 さて、最後の花の定座だが、曾良の『旅日記』にある「花ノ句ヲ進テ、俳、終。」がこのことだったのがわかる。芭蕉さんがそれまで俳諧興行を見ているだけだった別当代会覚阿闍梨に花の句を詠むように勧め、それがこの句だった。
 「花の浪」は桜の枝が風に波打つ様子をいい、「浪の花」だと浪の白いしぶきが花のようだという意味になる。前に宗因独吟「口まねや」の巻の七十句目の所で触れたが、

 桜花散ぬる風の名残には
     水なき空に浪ぞたちける
              紀貫之「古今集」

により、風に揺れる桜を浪に、飛び散る花びらを波しぶきに喩えたもの。
 花見の酒の肴に花の浪を眺めながら、今年も花は散り春は行ってしまうのか思うと、関々の神々に祈らずにはいられない。
 挙句。

   盃のさかなに流す花の浪
 幕うち揚るつばくらの舞      梨水

 前句の酒宴の終わり(打ち上げ)とばかりに燕が空を舞う。これにて「俳、終。」
 そのあと『旅日記』に「ソラ発句、四句迄出来ル。」とあるが、これは不明。
 曾良の『俳諧書留』には、この「有難や」の巻の前に、

   「翁
 雲の峰幾つ崩レて月の山
 涼風やほの三ヶ月の羽黒山
 語れぬ湯殿にぬらす袂哉
 月山や鍛冶が跡とふ雪清水     曾良
 銭踏て世を忘れけりゆどの道
 三ヶ月や雪にしらげし雲峯」

とあるが、この中の曾良の一句が用いられたか。
 芭蕉の三句は会覚に贈った真蹟短冊が残っている。

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