2020年7月23日木曜日

 連休初日は雨。でもコロナの感染拡大を防ぐ意味では恵みの雨か。
 重症者や死者が少ないということで妙な楽観論が広がっているが、危機管理の基本は最悪の事態を想定すること。楽観論で行動して、あとで「あんななるとは思わなかった」と言っても遅い。
 まず検査数が増加したことで、一人感染者が見つかったらその周囲を片っ端から調べるようになったことで、感染から日の浅い感染者が検査を受けるようになった。そのため軽症や無症状でもこれから重症化する可能性がある。
 ちょっと前までは重篤化してから検査を受ける例が多かったので、感染してからそれがカウントされるまで二週間のタイムラグがあると言われていたが、このタイムラグはかなり少なくなっている。その分検査から重篤化するまでのタイムラグが予想される。今は重症者が少なくても二週間後に一気に増える可能性がある。
 さらに重篤化しても人工呼吸器によって最長で一か月くらい生かしておくことができるから、死者の数はさらに遅れて増加する。
 コロナが弱毒化したかどうかは二三週間待ってみれば答えは出る。重症化の増加が起こり、それに遅れて死者も増加するようなら、コロナは弱毒化していない。結果が出るまでは警戒を怠るべきではない。
 それでは「有難や」の巻の続き。

 元禄二年水無月五日、曾良の『旅日記』にはこうある。

 「五日 朝ノ間、小雨ス。昼ヨリ晴ル。昼迄断食シテ註連カク。夕飯過テ、先羽黒ノ神前ニ詣。帰、俳、一折ニミチヌ。」

 断食のところは岩波文庫の萩原恭男注に「三山巡礼のために断食した」とある。
 ただ、一日二食だった時代に朝飯を抜いて結局昼に食べているならあまり変わらない気もする。まあ、前日には朝夕とは別に昼に蕎麦を食っているから、それに比べれば少ないが。ただでさえ夏は食欲が減退するし、また蕎麦を食べたのかな。
 夕飯もまだ明るいうちに食ったのだろう。それから神前に向かう。当時は神仏習合で、若王寺宝前院に隣接してたのであろう。明治の廃仏毀釈と修験道の禁止で羽黒山には出羽(いでは)神社が作られ、その後出羽三山神社に統合された。
 神社に参拝した後、「帰」とあるから近藤左吉亭で興行の続きが行われたのだろうか。
 付け順は釣雪・芭蕉・露丸・曾良・釣雪・露丸・芭蕉・梨水・曾良・芭蕉・露丸・釣雪で特に規則性がないところから出がちで行われたようだ。珠妙がはずれている。
 それでは初裏。
 七句目。

   北も南も碪打けり
 眠りて昼のかげりに笠脱て     釣雪

 「眠りて」は「ゐねむりて」と読む。「昼のかげりに笠脱て眠りて」の倒置で、旅体に転じる。
 八句目。

   眠りて昼のかげりに笠脱て
 百里の旅を木曾の牛追       芭蕉

 旅体ということで場面を木曾に転じる。姨捨山に行ったときに中山道で荷物を運ぶ牛を目にすることが多かったか。
 九句目。

   百里の旅を木曾の牛追
 山つくす心に城の記をかかん    露丸

 前句を木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いの「火牛の計」に取り成すのは、まあお約束といったところか。『源平盛衰記』に記された伝説で、ウィキペディアには、

 「しかしこの戦術が実際に使われたのかどうかについては古来史家からは疑問視する意見が多く見られる。眼前に松明の炎をつきつけられた牛が、敵中に向かってまっすぐ突進していくとは考えにくいからである。そもそもこのくだりは、中国戦国時代の斉国の武将・田単が用いた「火牛の計」の故事を下敷きに後代潤色されたものであると考えられている。この元祖「火牛の計」は、角には剣を、尾には松明をくくりつけた牛を放ち、突進する牛の角の剣が敵兵を次々に刺し殺すなか、尾の炎が敵陣に燃え移って大火災を起こすというものである。」

とある。
 山城というと「木曽義仲の隠れ城」と言われている楡沢山城が知られている。木曽義仲の功績を記録にとどめようということなのだろう。
 芭蕉も木曽義仲のファンで大津義仲寺をたびたび訪れ、無名庵を結び、最後はこの義仲寺に眠ることとなった。
 十句目。

   山つくす心に城の記をかかん
 斧持すくむ神木の森        曾良

 曾良は物騒なことを好まないのか、山城を作るにも御神木には気を付けるように釘を刺す。さすが吉川惟足の門下生だ。
 十一句目。

   斧持すくむ神木の森
 歌よみのあと慕行宿なくて     釣雪

 これは西行の跡を慕ってみちのくを旅する芭蕉と曾良を詠んだ楽屋落ちか。宿がなければ自分で作るしかないと斧をふるうことになりますよと、曾良に向かって言っているのか。曾良もいろいろ苦労はしているが、さすがに斧をふるうことはなかっただろう。
 十二句目。

   歌よみのあと慕行宿なくて
 豆うたぬ夜は何となく鬼      露丸

 「何となく」は「何と泣く」。
 宮本注は、

 草も木も我大君の国なれば
     いづくか鬼のすみかなるべき
            (太平記)

の歌を引用している。「宿なくて」に「鬼」が付く。
 豆は巻かれなくても、結局一年中鬼は外のわけだから、鬼はいつでも泣いているのだろう。ただ「歌よみのあと慕行」が生かされていない。

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