「有難や」の巻の続き。
八日は俳諧の方は一休みして九日に興行の続きが行われる。曾良の『旅日記』にはこう記されている。
「九日 天気吉、折々曇。断食。及昼テシメアゲル。ソウメンヲ進ム。亦、和交院ノ御入テ、飯・名酒等持参。申刻ニ至ル。花ノ句ヲ進テ、俳、終。ソラ発句、四句迄出来ル。」
この日は晴れ時々曇りで、午前中は五日と同様断食シテ、この日は昼に素麺を食べる。
午後から俳諧興行の続きを行うと、会覚から飯と酒の差し入れがある。夕暮れまで興行が行われた。
それでは二の懐紙の表、十九句目。
的場のすゑに咲る山吹
春を経し七ッの年の力石 芭蕉
的場は弓矢の練習場だった。武家の子供たちがここで練習したのだろう。片隅には去年七つになる子供が持ち上げた力石が置かれている。
力石は今でも神社に行くと見られるが、神社にあるのは大人用の、祭りの時などに力比べをするためのものであろう。子供が持ち上げる力石はわざわざ子供用に用意したものか。
二十句目。
春を経し七ッの年の力石
汲ていただく醒ヶ井の水 露丸
醒ヶ井は近江にある中山道の宿で、琵琶湖と関ヶ原の間にある。日本武尊が伊吹山の神(白猪とも大蛇ともいう)と戦って敗れ、ここの水で傷を癒したという話が記紀に記されている。ザコだと思ってたら実はラスボス級だったというのが敗因のようだ。これが原因で結局日本武尊は亡くなることになる。
力石を持ち上げていた子供も、いつか大人になり、戦いに敗れる日が来る。
二十一句目。
汲ていただく醒ヶ井の水
足引のこしかた迄も捻蓑 圓入
この日の興行では円入が加わる。四日に蕎麦切りを食べたときに「南部殿御代参ノ僧浄教院・江州円入ニ会ス」とあり、釣雪と会ったときに一緒にいたが、四日の興行には参加してなかった。
「捻蓑(ひねりみの)」がどういう蓑かはよくわからない。「足引のこしかた迄も」は足引きの山路の来し方までも蓑を着てとなるが、同時に「足を曳き、腰肩までも捻り」となる。
二十二句目。
足引のこしかた迄も捻蓑
敵の門に二夜寝にけり 曾良
隠れ蓑という言葉があるように、蓑は正体を隠すのに用いられる。足を引きずった乞食を装って敵の門に探りを入れる。
二十三句目。
敵の門に二夜寝にけり
かき消る夢は野中の地蔵にて 露丸
て止めの場合は後ろ付けでもいいので、「敵の門に二夜寝にけり」の結果として「かき消る夢は野中の地蔵にて」と読んでもいい。返り討ちにあって野中の地蔵になったのだろう。
二十四句目。
かき消る夢は野中の地蔵にて
妻恋するか山犬の声 芭蕉
妻恋というと鹿が思い浮かぶが、前句のお地蔵さんに墓場のイメージがあるなら犬の声は付き物だ。
この場合の山犬は野良犬のことで狼ではないだろう。生類憐みの令で野良犬が増えて問題になっていたともいう。
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