2021年8月16日月曜日

 今日も雨で西の方ではかなり被害が出ている。ドイツの映像との違いはやはり泥かな。土の質が違うんだろうな。
 カブール陥落、大統領亡命で、あらためて隣の国が心配になる。米軍が撤退したらあんなふうになるのかな。
 イスラム圏の問題はムスリムが考えなければいけないことで、結局一番問題なのは、民主主義や資本主義と調和できるようなムスリム社会のモデルが作れてないことだ。
 自分たちの社会モデルが思い描けないところで西洋の猿真似をしてもどうしても無理がある。結局は西洋と結びついた特権階級が利権を独占して腐敗する。そこにイスラム原理主義に付け込まれる。
 西洋だって既存のキリスト教の権威と戦って近代社会を作ったんだし、日本人だって王政復古は律令制の復活なんかではなかった。明治憲法の体制は良いに着け悪いにつけ伝統との戦いだった。それをせずにムスリムが近代化を果たすことはできない。
 あと、そういえば昨日のあのリストの中にウーマン村本さんも入れてあげないとね。Mr.mRNA。あんたらがいないと2ちゃんも淋しくなる。
 あと、鈴呂屋書庫に元禄五年春の「鶯や」の巻をアップしたのでよろしく。

 俳諧の方は引き続き元禄六年の秋で、史邦、芭蕉、岱水の三吟歌仙、「帷子は」の巻を読んでいこうと思う。芭蕉の閉関前の興行になる。
 発句は

   三吟
 帷子は日々にすさまじ鵙の聲   史邦

 帷子(かたびら)は夏の一重の着物で、秋になるとこれ一枚では寒くなってくる。
 モズは秋になると高鳴きをする。ウィキペディアには、

 「秋から11月頃にかけて「高鳴き」と呼ばれる激しい鳴き声を出して縄張り争いをする。縄張りを確保した個体は縄張りで単独で越冬する。」

とある。
 脇は芭蕉が付ける。

   帷子は日々にすさまじ鵙の声
 籾壹舛を稲のこき賃        芭蕉

 前句を稲刈りの頃とし、脱穀の作業をした人に籾一升の給与を出すとする。
 脱穀は元禄期に千歯こきが発明されたとはいえ、一般にはまだ普及してなかったのだろう。それ以前は竹製の箸のようなものを用いてたため、時間がかかった。脱穀を手伝うと脱穀したばかりの籾を一升分けてもらえたようだ。これが何割くらいなのかはよくわからない。
 第三。

   籾壹舛を稲のこき賃
 蓼の穂に醤のかびをかき分て    岱水

 醤(ひしほ)はコトバンクの「百科事典マイペディア「醤」の解説」に、

 「なめみその一種。味噌や醤油の祖型。炒(い)ってひき割ったダイズと水に浸した小麦で麹(こうじ)を作り,これに食塩水を入れ,さらに塩漬したナスなどを加えて仕込み,数ヵ月の熟成期間を経て食用。なお古くは魚鳥の肉の塩漬,塩辛も醤と称した。」

とある。穂蓼も蓼酢だけでなくひしほで和えて食べたりしたのだろう。
 時間がたつとひしほにカビが生えてきたりしたが、昔の人は気にせずにカビの所をよけて食っていた。
 脱穀が終わったというので、籾を入れてた升で穂蓼を肴に酒を飲む。
 四句目。

   蓼の穂に醤のかびをかき分て
 夜市に人のたかる夕月       史邦

 蓼の穂は酒の肴なので、夜市で売られていた人気商品でもあったのだろう。
 五句目。

   夜市に人のたかる夕月
 木刀の音きこへたる居あひ抜    芭蕉

 夜市で居合い抜きを披露する大道芸人であろう。真剣でやっているように見せても、どうも木刀のような音がする。
 六句目。

   木刀の音きこへたる居あひ抜
 二階ばしごのうすき裏板      岱水

 木刀の音かと思ったら二階へ上る梯子の裏板を蹴る音だった。
 初裏、七句目。

   二階ばしごのうすき裏板
 寒さふに薬の下をふき立て     史邦

 医者の家は二階へ上る梯子の所に無造作に薬が詰まれたりしてたのだろう。今でも階段を倉庫代わりに使っている店は多い。
 八句目。

   寒さふに薬の下をふき立て
 石丁なれば無縁寺の鐘       芭蕉

 石丁は石を割ったり加工したりする石丁場のことか。薬を飲ませていたがその甲斐もなく、墓石の準備になる。「無縁寺の鐘」が鳴るのは、どこから来たともしれぬ旅人の客死であろう。
 九句目。

   石丁なれば無縁寺の鐘
 手細工に雑箸ふときかんなくづ   岱水

 雑箸は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、「粗末な箸の意か」とある。文脈では手細工で簡単に作った箸のように思われる。太い箸を鉋で仕上げる。石丁場で急に箸が必要になったかなにかだろう。
 十句目。

   手細工に雑箸ふときかんなくづ
 よびかへせどもまけぬ小がつを   史邦

 「小がつを」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小鰹」の解説」に、

 「〘名〙 魚「そうだがつお(宗太鰹)」の異名。《季・夏》 〔物類称呼(1775)〕」

とあり、「精選版 日本国語大辞典「宗太鰹・惣太鰹」の解説」には、

 「〘名〙 サバ科ソウダガツオ属のヒラソウダとマルソウダの二種の総称。全長四〇~六〇センチメートル。体形はカツオに似る。背方は青黒色で黒色の斜走帯が並ぶ。腹面は銀白色でカツオのような縞はない。マルソウダは体横断面が丸く、体の有鱗域が長く、その後端が第二背びれに達する。一方、ヒラソウダは体が側扁し、有鱗域は短く、第一背びれと第二背びれの中間で急に狭くなる。沿岸表層遊泳性。北海道以南世界中の暖海に分布。刺身、削り節として食する。宗太。《季・夏‐秋》 〔魚鑑(1831)〕」

とある。ただ、前句に「かんなくづ」とあるから鰹節のことかもしれない。
 鰹節はウィキペディアに、

 「江戸時代に、紀州印南浦(現和歌山県日高郡印南町)の角屋甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(別名焙乾法)を考案。これにより現在の荒節に近いものが作られるようになり、焙乾法で作られた鰹節は熊野節(くまのぶし)として人気を呼んだ。さらに1674年(延宝2年)には角屋甚太郎によって土佐の宇佐浦に燻製法が伝えられた。
 大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの発生に悩まされたが、逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案された。この改良土佐節は大坂や江戸までの長期輸送はもちろん、消費地での長期保存にも耐えることができたばかりか味もよいと評判を呼び、土佐節の全盛期を迎える。」

とある。このことによって関西のものだった鰹節が江戸にも広まることとなった。『炭俵』の「雪の松」の巻の八句目に、

   熊谷の堤きれたる秋の水
 箱こしらえて鰹節売る       野坡

の句がある。
 鰹売が一度離れていった客を呼び返す。値下げしてくれるのかと思ったが、全然負けてくれなかった。初鰹と違って生ものではないから、売る方も強気だったのだろう。
 前句は鉋で削った鰹節を粗末な箸で試食させているということにしたか。
 十一句目。

   よびかへせどもまけぬ小がつを
 肌さむき隣の朝茶のみ合て     芭蕉

 この時代は抹茶ではない煎じて飲む唐茶も急速に広まった。茶飲み話をしていると鰹節売がくるというのがこの時代の新しいあるあるだったのだろう。
 十二句目。

   肌さむき隣の朝茶のみ合て
 秋入どきの筋気いたがる      岱水

  「秋入(あきいり)」は「あきいれ」と同じであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「秋入」の解説」に、

 「① 秋の稲の刈り入れ。秋の収穫。
  ※集成本狂言・狐塚(室町末‐近世初)「これに秋入に日和さへよければ何も思ふ事はない」
  ② 大黒神に供えるため特に刈り残した六株の稲を主人が刈り取る行事。」

とある。「筋気(すぢけ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「筋気」の解説」に、

 「〘名〙 筋肉が痙攣(けいれん)して痛む病気。筋肉の痛み。こむらがえり。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※咄本・多和文庫本昨日は今日の物語(1614‐24頃)「此ほどすぢけにて物書く事がならぬ」

とある。収穫作業による疲労が原因であろう。

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