昨日は開会式を見た。ピアノが良い音立ててたね。あと、布袋さんが出てきた時、画面左側にいた人のギターが何気に凄い。若冲のデコトラ、もう少し写してほしかった。
さて、今日から競技開始ということで、ゴールボール時々車いすバスケという感じで見た。ゴールボールはなかなか面白かった。日本の男子の多彩な戦術は、多分すぐ真似されるだろうな。女子の方はトルコの高いバウンドの変化球に対応しきれなかったか。
車いすバスケは今日見たのは女子の方だが、あまり背丈は関係なさそうだ。体重はあった方が良いのかな。素早さと防御力の兼ね合いなのか。日本は前半はどうなるかと思ったが、終わってみたら圧勝だった。
昨日は「踊らにゃ損損」なんて言ったが、阿波踊りのこの歌詞は高校の時の倫社の先生が、「ここには思想がない」と言ってたのをふと思い出した。
今見るとそんなことはないと思う。
「踊る阿呆に見る阿呆」
これは要するにソクラテスの「無知を知る」ということで、人間はすべてのことを知ることはできないし、知った気になってはいけないという戒めに留まらず、近代のカントの理性批判にも通じるもので、二十世紀の「哲学の終わり」もまた、絶対的な真理のないことを証明した。
人間の知は基本的に不確実なもので、科学と言えども真理の近似値にすぎない。つまり人間は程度の差こそあれみんな無知であり、要するのみんなどこかで馬鹿なんだ。我が国の神道も天地自然の陰陽不測を知り、身を慎むことを説いている。
踊る人も完全ではないし、見ている人も完全ではない。みんなどこかで馬鹿なんだ。「踊る阿呆に見る阿呆」はそんな深遠な哲理を含んだ言葉だったんだ。
なら、
「同じ阿保なら踊らにゃ損損」
はどうかというと、「踊る」という言葉は「遊ぶ」ということと同義ではないかと思う。
それは不完全な条理に執着することなく、習慣となった先入見や固定観念を越えて自由になるということだ。ハイデッガーは「真理の本質は自由である」と言うし、「哲学とはもっぱら超越である」とも言う。何にも囚われなくなったとき、そこにあるのは遊びであり踊りだ。それは我が国では「風雅の誠」と言ってもいい。
自らの知の限界を知り、自由の境地に遊ぶ。これが人間としての最大の「徳」であり、「徳は得也」だ。この徳を得ないなら、それは「損(そこなう)」としか言いようがない。
そういうわけで阿波踊りの歌詞には思想がある。証明終わり。吉沢先生元気かな。
こういうことを書くと故事付けだという人もいるかもしれないが、どんな卑俗なものの中にも道はある。それを見つけられるかどうかはその人次第って話だ。
あと、最近ADEという言葉をよく聞くが、一応日本医療研究開発機構のホームページを見たら、大阪大学の荒瀬尚教授のグループの研究のことが載っていたが、
「新型コロナウイルスに感染すると中和抗体ばかりでなく、感染を増強する抗体が産生されることが判明した。さらに、感染増強抗体が産生されると、中和抗体の作用が減弱することが判明した。」
とはあったが、ここにはワクチンが感染増強抗体を産出するとは書いてなかった。
またbiorxivの記事はmRNAベースのワクチンが「一部のBNT162b2免疫血清は中和活性を失い感染性を高めました。」というもので、あくまで不十分さを指摘するもののように思える。アンジェスのDNAワクチンはそこに対応できるのかな?
それでは「つぶつぶと」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
あほうつかへば皆つかはれる
宵の口入みだれたる道具市 九節
「馬鹿と鋏は使いよう」ということで、宵の口の混雑する道具市で鋏を選ぶ。どれを買っても馬鹿が使えれば使える。
二十六句目。
宵の口入みだれたる道具市
茶の呑ごろのぬるき小薬鑵 惟然
道具市でも茶を飲めるところがあるのだろう。薬缶が置いてあって、煮だした茶が置いてあるが、ちょうど良く冷めている。この飲み頃温度というのが、後の煎茶に受け継がれてゆくのだろう。
二十七句目。
茶の呑ごろのぬるき小薬鑵
間あれば又見たくなる絵のもやう 猿雖
「間」はここでは「ひま」と読む。
「もやう」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「模様」の解説」に、
「① 模範。てほん。
※筑波問答(1357‐72頃)「連歌は本よりいにしへのもやうさだまれる事なければ」 〔琵琶記‐宦邸憂思〕
② 外に現われるかたちやありさま。また、推移するようす。ふぜい。
※風姿花伝(1400‐02頃)二「面をも、同じ人と申しながら、もやうの変りたらんを着て、一体(いってい)異様したるやうに、風体を持つべし」
※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉三「授業の模様、旧生徒の噂」 〔杜荀鶴‐長安道中有作詩〕
③ しぐさ。身ぶり。所作(しょさ)。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※随筆・驢鞍橋(1660)下「若衆に茶のたてやうを教ゆべしと、自ら茶をたつる模様をなして」
④ (━する) 仕組むこと。趣向。計画。
※浮世草子・新吉原常々草(1689)下「何事も前からこしらへたる事よろしからず、其時にいたりてもやうするこそおかしけれ」
⑤ 織物、染物、工芸品などにほどこした絵や図案。また、ものの表面にあらわれた図柄。紋様。
※蔭凉軒日録‐寛正五年(1464)七月一九日「被レ求二于大唐之諸器一、其模様図而被レ渡二于両居座妙増都聞并紹本都寺及能副寺一也」
⑥ (━する) 色や図柄をつけること。
※最暗黒之東京(1893)〈松原岩五郎〉一七「新の柿及び新の栗が半ば黄色に色を摸様(モエウ)し」
⑦ 囲碁で、相当の規模を持った勢力圏をいう。大規模のものを大模様、ある程度地域化したものを地模様という。
⑧ 天気。空模様。
※稲熱病(1939)〈岩倉政治〉四「百姓は空相手ぢゃ。模様さまさいよければ、こんなこたないわい」
⑨ 名詞の下に付けて、それらしい様子、振舞い、雰囲気であるさまを表わす。「色もよう」「雪もよう」など。
※歌舞伎・幼稚子敵討(1753)三「『是を牡丹花の香炉と見咎(みとがめ)られたりや、モウ汝(うぬ)を』トかかる。立廻りもやふ有」
とある。今日ではもっぱら⑤や⑧の意味で用いられるが、ここでは①か②であろう。③④は絵に用いるものではなさそうだ。
当時は一般に絵を学ぶというと、師匠の手本やたまたま見る機会に恵まれた良い絵を見ながら、それをコピーするところから始めるものだ。
飲み頃の茶をふるまってくれる家にはなかなかいい絵が飾ってあって、それを何度も見たいというものだろう。
二十八句目。
間あれば又見たくなる絵のもやう
ともに年寄逢坂の杉 芭蕉
逢坂の関の杉は和歌に詠まれている。
逢坂の杉間の月のなかりせば
いくきの駒といかで知らまし
大江 匡房(詞花集)
鶯の鳴けどもいまだ降る雪に
杉の葉しろきあふさかの関
後鳥羽院(新古今集)
ただ、逢坂の関は絵巻などには描かれるが、画題になることはあまりない。逢坂の杉の老木を描いた絵があったら見てみたいものだ。
二十九句目。
ともに年寄逢坂の杉
有明にしばしへだてて馬と籠 卓袋
明方の逢坂の関を馬で越える者と、やや間をおいて駕籠で越える者がいる。二人の関係はよくわからないが、どちらも年を取っている。
三十句目。
有明にしばしへだてて馬と籠
露時雨より頭痛やみたり 九節
群発頭痛ではないかと思う。はっきりしたことはよくわからないが、体内時計が関係していると言われていて、夜中や明け方に多いという。
明け方の旅で、辺りが明るくなり、辺りにびっしりと露の降りているのが分かる時刻になると頭痛が引いて行く。さながら時雨のような頭痛だ。
露時雨は雨ではないが、明け方に露がびっしりと降りて時雨が降ったようになることをいう。
二裏、三十一句目。
露時雨より頭痛やみたり
引たてて留守にして置く萩の門 土芳
「引たてて」も多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「引立」の解説」に、
「〘他タ下一〙 ひきた・つ 〘他タ下二〙
① 横になっている物や人を引っ張って立つようにする。引き起こす。
※蜻蛉(974頃)上「生糸(すずし)のいとを長うむすびて、一つむすびては、ゆひゆひして、ひきたてたれば」
② 戸、障子などを、引き出してたてる。引いて閉じる。
※落窪(10C後)二「やり戸あけたりとておとどさいなむとて、ひきたてて、錠(ぢゃう)ささんとすれば」
③ 引いてきた車などを、とめる。車をとどめる。
※宇津保(970‐999頃)蔵開下「車ひきたててみる」
④ 馬などを、引いて連れ出す。引いて連れて行く。
※延喜式(927)祝詞「高天の原に耳(みみ)振立(ふりたて)て聞く物と、馬牽立(ひきたて)て」
⑤ いっしょに連れて行く。いっしょに行くようにせきたてる。また、無理に連れて行く。連行する。
※源氏(1001‐14頃)夕霧「やがてこの人をひきたてて、推し量りに入り給ふ」
⑥ 人や、ある方面の事柄を、重んじて特に挙げ用いる。特に目をかける。ひいきにする。
※古今著聞集(1254)一「重代稽古のものなりけれども、引たつる人もなかりけるに」
⑦ 勢いがよくなるようにする。気分・気力の勢いをよくする。気を奮い立たせる。
※新撰六帖(1244頃)六「杣山のあさ木の柱ふし繁みひきたつべくもなき我が身哉〈藤原家良〉」
⑧ 一段とみごとに見えるようにする。特に目立つようにする。きわだたせる。
※俳諧・七番日記‐文化七年(1810)九月「夕顔に引立らるる後架哉」
⑨ 注意を集中する。特に、聞き耳を立てる。
※うもれ木(1892)〈樋口一葉〉八「引(ヒ)き立(タ)つる耳に一と言二た言、怪しや夢か意外の事ども」
とある。この場合は「留守にして置く」が居留守を使う意味なので、②の意味で「萩の門」の戸を引いて閉じて置くという意味になる。
頭痛がひどいので人に会いたくなかったのだろう。前句を「頭痛止みたり」ではなく「頭痛病」としたか。
三十二句目。
引たてて留守にして置く萩の門
ひとりたまかにはこぶふる竹 雪芝
「たまか」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「たまか」の解説」に、
「① まめやかなさま。物事を緻密に処理するさま。実直。忠実。誠実。
※天理本狂言・忠喜(室町末‐近世初)「人の身に、はものをあつる事じゃ、たまかに、心をしづめて、それと云」
② 倹約で、ひかえめなさま。
※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二九「たまか成遠里おのこかしこまり」
※滑稽本・六阿彌陀詣(1811‐13)二「とかく女中はものごと質素(タマカ)にするがよい」
③ こまかくてめんどうなさま。
※浮世草子・風流曲三味線(1706)二「びいどろの徳利の中へ和久(わく)を入れるたまかな細工などして」
とある。
門を閉じるだけでなく、古竹で竹垣を作って、外から入れないようにする、ということか。
三十三句目。
ひとりたまかにはこぶふる竹
ふらふらときせる〇付る貝のから 猿雖
〇は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、他の本に「きせるに」とあることを示している。「に」が入ると見ていいだろう。
煙管の雁首と吸い口の間の「羅宇」と呼ばれる管の部分は竹でできているものが多かった。ウィキペディアには、
「雁首、火皿、吸い口については耐久性を持たせるためにその多くが金属製であり、羅宇については、高級品では黒檀なども見受けられるが、圧倒的に竹が多いようである。」
とある。前句を煙管を作る職人としたか。
煙管に付ける貝の殻は螺鈿に用いるのだろうか。竹と一緒に貝殻の袋をぶら下げて運び込む。
三十四句目。
ふらふらときせる〇付る貝のから
いくつくさめのつづく朝風 惟然
「くさめ」はくしゃみのこと。貝の殻ふらふらと定まらないのを、くしゃみが止まらないからだとする。
三十五句目。
いくつくさめのつづく朝風
ざはざはと花の‥‥大手に 望翠
ここも判読できない箇所があったようだ。大手にを「おほてに」と読むと下五が一文字足りない。
いずれにせよ、これだけでは意味不明。
挙句。
ざはざはと花の‥‥大手に
柳にまじる土手の若松 卓袋
桜に柳は「柳桜をこきまぜて」の縁。春の錦に若松を添えて、一巻は目出度く終わる。
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