2021年8月2日月曜日

  今日は旧暦で六月二十四日。夏もあと一週間を切った。
 オリンピックのネット観戦は、午前中が馬術とBMXフリースタイルの決勝で、午後はバスケットボールとゴルフを見た。あと少しの所で残念。そのあと体操のあん馬を見てようやくメダル獲得の瞬間を見ることができた。

 すっかりヒキニートとなり収入がないので本代を節約するために、このごろラノベKindleUnlimitedで読んでいる。あまりタイトルは選べないが、みかみてれんさんの『女同士とかありえないでしょと言い張る女の子を、百日間で徹底的に落とす百合のお話』が読めた。『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』の方は三巻まで買って読んでいる。
 日本でBLや百合が流行るのは、LGBTを異質なものとしてとらえるのではなく、連続したものと捉える傾向が強いからではないかと思う。
 性的なものを抜きにすれば、男が男に惹かれ女が女に惹かれることは普通のことで、だれしも持っている感情だ。スポーツ選手の割れた筋肉に憧れ、勝利の時に抱きあって喜ぶ選手たちの中に自分も入ることができたらということなら誰しもが思うことだ。
 思春期にはこうした感情が疑似恋愛になることもよくあることで、同性愛者を理解しようとするときには、自分自身のこうした体験が基礎になる場合が多い。異質なものとして理解するよりは同質なものとして理解する方が簡単だからだ。
 ラノベでも百合展開はお約束で、最近読んだものの中でも「処刑少女の生きる道」「ひきこまり吸血姫の悶々」「Nostalgia world online〜首狩り姫の突撃! あなたを晩ご飯!〜」「ジェノサイド・オンライン」「ヒトの時代は終わったけれど、それでもお腹は減りますか?」「こわれたせかいのむこうがわ」などは性描写はなくても百合要素を含んでいる。少年を主人公としたハーレム展開ではなく、女性を主人公とした百合ハーレム展開も最近は多い。
 BLでなくても女性が男の主人公を描く時は少なからずBL風の要素が入るもので、日本人はあまり意識しないが『BANANA FISH』のアニメが公開された時に、海外の評判のサイトにはゲイという文字が踊っていた。向こうの人にはそういうふうに見えてしまうのだろうか。
 異性愛者とLGBTを連続的に捉える日本的な感覚は、もちろん真性と仮性を混同したような発言を生み出す元にもなっている。ただLGBTを異質なものとして捉えて闘争の文脈で理解する西洋的な考え方とどっちが良いのかというと、西洋の場合はもう少し連続的な理解をしても良いのではないかと思う。
 LGBTを「趣味の問題」だと言うのも、日本人がLGBTを異性愛者と連続した存在として考え、異性愛者にもそれぞれ異なった趣味があるように、その連続でLGBTを捉えようとしているからだ。巨乳好きや貧乳好きがいたり、ロリや熟女フェチがいたり、デブ専や眼鏡フェチがいるような、その延長線上にLGBTがいる。

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