オリンピックの方もそろそろ終わりが近づいてきたか、見るものも少なくなってくる。
野球の韓国・イスラエル戦は一方的な試合になった。カヤックや飛び込みを見て夕方は障害馬術を見た。
夜は日本・アメリカ戦で苦しみながらも最後には勝った。
昨日言った日本人のLGBT観の問題だが、連続的であるが故の弊害もある。エンターテイメントの中ではみかみてれんさんの「女同士とかありえないでしょと言い張る女の子を、百日間で徹底的に落とす百合のお話」もそうだし、一頃はやったTVドラマの「おっさんずラブ」もそうだけど、異性愛者が簡単に同性愛者になってしまうストーリーは、物語としてはそれでいいが、現実と混同されてしまうと、同性婚を認めたらみんな異性と結婚しなくなって人口が減るなんて、変な議論が生じることにもなる。
杉田水脈さんの生産性発言も基本的にはそこから出たもので、日本人が恐れているのはひょっとしたらゲイパワーではなく百合パワーなのかもしれない。女子高生の疑似恋愛のようなことが大人になっても続くことの方を心配しているのかもしれない。
ちょっと前までは逆に、西洋から遺伝学の知識が入ってきてから、同性愛者は遺伝とみなされ、血の穢れとして家の恥とされた時代もあった。また、武家社会の崩壊と僧侶の妻帯が進むことによって、男の同性愛者が居場所を失っていった。ただ、大衆芸術の中では江戸時代からの伝統が残っていて、今でも芸能界は同性愛者の居場所の一つとなっている。
ただ、この場合も男性限定で、女性の同性愛は深く潜行していてほとんど記録さる事もなかったようだ。80年に佐良直美とキャシー中島がレズだということでスキャンダルになったが、事情が変わってきたのはその頃だったのではないかと思う。
BLや百合という今の文化が確立されたのも八十年代で、ちょうど日本経済がアメリカに脅威をもたらしていた時代で、日本人が自らの文化に自信を取り戻した時代だった。筆者もその頃青春を過ごした。それを今でも引きずっているのかもしれない。
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