ワクチンの副反応は打った方の腕が痛いだけでたいしたことはなかった。これで体の中に進化が起きて、「告、コロナ耐性の獲得に成功しました」ってなればいいな。
輝井永澄さんの『空手バカ異世界』を有料で読んだが、「空手バカ一代」(原作:梶原一騎・作画:つのだじろう)のパロディーかと思ったら、なかなか本格的な異世界物のストーリー展開だった。
チートで得た力ではいくら強大なものであっても世界は救えない。世界を救うには一人一人が自分の持てる力で、あきらめることなく自ら切り開かなくてはならないというテーマは、今のアフガニスタンにも当てはまるのではないかと思う。米軍召喚なんてチートではあの国は救われなかった。
大事なことはみんなラノベが教えてくれる。
そういうわけで筆者の場合は「空手を信じろ」ではなく、「風流を信じろ」と言っておこう。
それでは「残る蚊に」の巻の続き、三十句目まで。
十六句目。
秋風の雨ほろほろと川の上
かち荷は舟を先あがる也 風麦
前句の「川の上」から、雨の中を船が着いたとする。歩いて運べる小さな荷物をまず降ろし、それから馬に載せる大きな荷物を降ろす。
十七句目。
かち荷は舟を先あがる也
美濃山はのこらず花の咲き揃ひ 芭蕉
美濃山はどこの山なのか。美濃というと稲葉山が思い浮かぶが。京都八幡にも美濃山という地名がある。前句からすると川に近い水運の要衝であろう。
十八句目。
美濃山はのこらず花の咲き揃ひ
とてもするなら春の順礼 苔蘇
「とても」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「迚」の解説」に、
「〘副〙 (「とてもかくても」の略)
[一] 条件的に、どうしてもこうしてもある結果になる意を表わす。
① いかようにしても。とうてい。何にしても。どっちみち。どうせ。結局。しょせん。
(イ) (打消を伴って) あれこれしても実現しない気持を表わす。
※平家(13C前)三「日本国に、平家の庄園ならぬ所やある。とてものがれざらむ物ゆへに」
※田舎教師(1909)〈田山花袋〉一一「とても東京に居ても勉強などは出来ない」
(ロ) 結局は否定的・消極的な結果になる気持を表わす。諦めや投げやりの感じを伴いやすい。
※延慶本平家(1309‐10)五本「下へ落しても死むず。とても死(しな)ば敵の陣の前にてこそ死め」
※俳諧師(1908)〈高浜虚子〉四五「もうああ狂って来ては迚(トテ)も駄目だらうね」
(ハ) 決意を伴っていう。どうあろうと。
※太平記(14C後)五「や殿矢田殿、我はとても手負たれば此にて打死せんずるぞ」
(ニ) 否定的・消極的ではなく肯定的な内容を導く。
※歌謡・閑吟集(1518)「とてもおりゃらば、よひよりもおりゃらで、鳥がなく、そはばいく程あぢきなや」
※西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉六「とてもねがふなアアら大きなことをねエエがヱ」
② 事柄が成立する前にさかのぼって考える気持を表わす。どうせもともと。
※三道(1423)「又、女物狂の風体、是は、とても物狂なれば、何とも風体を巧みて、音曲細やかに、立振舞に相応して、人体幽玄ならば」
③ あとの句に重みをかけていう。どうせ…だから(なら)いっそ。「の」を伴うことがある。
※風姿花伝(1400‐02頃)二「さりながら、とても物狂に(ことよ)せて、時によりて、何とも花やかに、出立つべし」
とある。近代には強調の言葉となり「とっても」ともいう。
ここでは肯定的な内容を導くので「何はともあれ」くらいの意味か。
花の季節なら吉野順礼だろう。芭蕉も『笈の小文』の旅の時は、伊賀で「さまざまの事おもひ出す桜哉」と詠んでから吉野の花見に出発した。山は桜が咲くのが遅いので、そのタイミングでちょうどよかったのだろう。
二表、十九句目。
とてもするなら春の順礼
永き日の西になつたるきりめ縁 玄虎
「きりめ縁」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切目縁」の解説」に、
「〘名〙 板の張り方による縁の形式の一つ。縁板を敷居と直角方向に張った縁。濡縁(ぬれえん)にみられる。木口縁(こぐちえん)。⇔榑縁(くれえん)。
※政談(1727頃)二「家居には床・違棚・書院作り・長押造り・切目縁」
とある。
春の穏やかな日もやがて西に傾いてゆく。それによって、南向きの縁側の切目に影ができるようになる。
西へ行く日に世の無常を感じ、そうだ順礼に行こう。
二十句目。
永き日の西になつたるきりめ縁
あはれにぬるる雨の白鷺 雪芝
縁側が哀れに濡れると思わせて、濡れているのは白鷺だった。日が西に傾く頃、雨が降り出す。
二十一句目。
あはれにぬるる雨の白鷺
のかれぬやよそからは来ぬ冬の来て 風麦
冬は他所からやって来るのではなく、どこもかしこも一斉に冬になる。逃れることはできない。前句の白鷺の雨を時雨とする。
二十二句目。
のかれぬやよそからは来ぬ冬の来て
柴焚くかげに遊ぶ夜すがら 土芳
寒い冬は柴を焚いて暖を取りながら、遊んですごそう。
二十三句目。
柴焚くかげに遊ぶ夜すがら
寒竹の杖のふしよむ老のわざ 玄虎
寒竹(かんちく)はウィキペディアに、
「カンチク(寒竹)は日本原産の竹の一種だが本来の自生地は不明である。種名の由来は晩秋から冬にかけてタケノコが出ることからであり、耐寒性がある訳ではない。
稈は黄色または黒紫色で、普通2mほどであるが、時には5-6mになる。葉にはまれに白条がある。径数mmの細い竹だがその色は紫黒色で光沢があるので美しく、飾り窓や家具などに使われ、庭などに植えられて観賞されている。」
とある。
柴を焚いて暖を取りながら、老人は寒竹の杖の節の数を数えている。
二十四句目。
寒竹の杖のふしよむ老のわざ
しらぬ山路を馬にまかせて 玄虎
杖を持っているということで旅の老人とし、旅体に転じる。
「馬にまかせて」は地元の人に馬を借りて、馬が道を知っているから何もしなくても着くということ。
『奥の細道』の「かさね」のところに、
「那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば、是より野越えにかかりて直道(すぐみち)をゆかんとす。遥(はるか)に一村(いっそん)を見かけて行くに雨降り日暮るる。農夫の家に一夜(いちや)をかりて、明くれば又野中を行く。そこに野飼ひの馬あり。草刈るおのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情(なさけ)しらぬには非ず、『いかがすべきや、されども此の野は縦横(じゅうわう)にわかれて、うゐうゐ敷(しき)旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此の馬のとどまる所にて馬を返へし給へ』とかし侍りぬ。」
とある。馬はいつも通る道をちゃんと覚えているから、馬に任せて行けば道に迷うことはない。
二十五句目。
しらぬ山路を馬にまかせて
暮るより寺を見かへる高灯籠 雪芝
馬に任せて行くと日も暮れて、振り返ると寺の高灯籠が見える。
二十六句目。
暮るより寺を見かへる高灯籠
すすきのかげにすへるはきだめ 芭蕉
寺の入口の高灯籠の向こう側には、お寺のゴミ捨て場がある。お寺あるある。
二十七句目。
すすきのかげにすへるはきだめ
むげなれや月にとはるる人も哉 土芳
お寺に月見に集まってくる人もどこかみんな訳ありな連中で、掃き溜めのようだ。
二十八句目。
むげなれや月にとはるる人も哉
琵琶のいはれを語る竹縁 風麦
月見やってきた人にも、自分の自慢の琵琶の謂れを延々と語る。周りにいる人は、また始まったか、無碍なるや、と思う。
二十九句目。
琵琶のいはれを語る竹縁
思ひきる跡よりなみだつきかけて 土芳
琵琶法師の語る悲しい恋物語にみんな泪も尽きかけた頃、法師は物語の謂れを語り始める。
三十句目。
思ひきる跡よりなみだつきかけて
にほひするかみしよぼくねて越 苔蘇
「しょぼくねて」は「しょぼくれて」か。
女の香しい髪もすっかり惨めな状態になって、失恋の悲しい時期を乗り越えて行く。
恋の句が続いて盛り上がってきたところだが、残念ながら後の二裏六句を欠いている。
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