2021年8月24日火曜日

 今日はこのあとパラリンピックの開会式がある。さすがにパヨもパラは叩けない。障害者団体の反発にあうからね。マスコミもオリンピックの時とは違い、よいしょしまくっている。
 まあ、とにかく楽しみだ。俄で何が悪い、踊らにゃ損損、という感じで盛り上がろう。
 あと、「松茸や(都)」の巻と元禄五年冬の「口切に」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは「つぶつぶと」の巻の続き。

 十三句目。

   鱸釣なり鎌倉の浦
 大鳥のわたりて田にも畑にも   芭蕉

 渡り鳥で大鳥といえば、鶴や白鳥のことだろう。田にも畑にもやって来る。
 スズキの旬は夏だというが、この時期は沖の方にいることが多く、河口でのシーバス釣りの季節は秋から初冬の産卵前が良いという。渡鳥の飛来する季節でもある。
 十四句目。

   大鳥のわたりて田にも畑にも
 蕎麦粉を震ふ帷子の裾      卓袋

 渡り鳥の飛来の頃は秋蕎麦の収穫の頃になる。新蕎麦を打つと、帷子の裾に粉がつく。
 秋蕎麦は花が咲くのも遅く、この後九月三日に支考が伊賀にやって来た時に芭蕉は、

 蕎麥はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉

の句を詠んでいる。
 十五句目。

   蕎麦粉を震ふ帷子の裾
 立ながら文書て置く見せの端   猿雖

 主人が蕎麦粉を篩う作業で忙しそうなので、手紙を持ってきたけどそっと置いて帰る。
 十六句目。

   立ながら文書て置く見せの端
 銭持手にて祖母の泣るる     芭蕉

 放蕩者の孫が金の無心に来たのだろう。祖母ももうこれ以上出せないと銭を手に持って、泣きながら差し出す。さすがに思う所があったのか、手紙を書いて店の端に置いて行く。
 十七句目。

   銭持手にて祖母の泣るる
 まん丸に花の木陰の一かまへ   土芳

 「一かまへ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一構」の解説」に、

 「① 一つの建造物。特に、独立して一軒建っている家。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※武蔵野(1887)〈山田美妙〉中「崖下にある一構(ヒトカマヘ)の第宅(やしき)は」
  ② 一つのむれ。一群。
  ※浮世草子・好色五人女(1686)五「一かまへの森のうちにきれいなる殿作りありて」

とある。花の下に円形の建物というのはよくわからないので、まん丸に取り囲むような一群ということか。円形に人垣ができるというと、大道芸か何かで、祖母が感激して投げ銭をしたということか。
 十八句目。

   まん丸に花の木陰の一かまへ
 どこやら寒き北の春風      猿雖

 前句の「まん丸」を春の北風が丸く渦を巻いて、花の下でつむじ風になったとしたか。
 二表、十九句目。

   どこやら寒き北の春風
 旅籠屋に雲雀が啼ば出立焚    雪芝

 「出立(でたち)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出立」の解説」に、

 「で‐たち【出立】
  〘名〙
  ① 旅立ち。門出(かどで)。出発。いでたち。しゅったつ。
  ※羅葡日辞書(1595)「Viáticum〈略〉Detachini(デタチニ) クワスル メシ」
  ② 旅立ちする際の食事。宿を出る際の食事。いでたち。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※浮世草子・好色一代男(1682)二「手枕さだかならず目覚めて、出立(デタチ)焼(たく)女に」
  ③ はじまり。発端。第一歩。また、出始め。
  ※蓮如御文章(1461‐98)二「その信心といふはなにの用ぞといふに〈略〉凡夫が、たやすく彌陀の浄土へまいりなんずるための出立(でたち)なり」
  ※交隣須知(18C中か)二「犢 タケノコノ デタチハ キナウシノ コノ ツノノ ヨフニゴザル」
  ④ 身なり。服装。扮装(ふんそう)。いでたち。
  ※史記抄(1477)一一「冠雄━いったう人のせぬてたちぞ」
  ※咄本・当世手打笑(1681)五「或時、女出立(デタチ)をして、夜あくるまでおどり、くたびれて部やに入」
  ⑤ 葬礼の出棺。でたて。

とある、この場合は②になる。朝の雲雀が鳴きだす頃には朝飯が炊き上がる。
 二十句目。

   旅籠屋に雲雀が啼ば出立焚
 ならひのわるき子を誉る僧    卓袋

 旅に出る僧は、これまで教えていた物覚えの悪い子供ともお別れで、この日は褒めている。
 二十一句目。

   ならひのわるき子を誉る僧
 冬枯の九年母おしむ霜覆ひ    芭蕉

 九年母(くねんぼ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「九年母」の解説」に、

 「① (「くねんぽ」とも) ミカン科の常緑小高木。インドシナ原産で、古く中国を経て渡来し、栽培される。幹は高さ三~五メートルになり、ミカンに似てやや大きく、長さ一〇センチメートルほどの楕円形の葉を互生する。初夏、枝先に芳香のある白色の五弁花を開く。果実は径六センチメートルぐらいの球形で、秋に熟して橙色になる。表皮は厚く種子が多いが甘味があり生食される。漢名は橘で、香橙は誤用。香橘(こうきつ)。くねぶ。くねんぶ。くねぼ。《季・秋‐冬》」

とある。
 前句の「子」の縁で「母」の字の入った九年母を付ける。「ならいのわるき」から「冬枯」も特に関連があるわけではないが、響きで展開する。
 冬枯れの九年母を惜しむように、習いの悪い子も褒める。
 二十二句目。

   冬枯の九年母おしむ霜覆ひ
 たまたますれば居風呂の漏    雪芝

 たまたま九年母に霜覆いをしていたら、風呂桶が漏っているのに気付く。
 二十三句目。

   たまたますれば居風呂の漏
 持鑓の一間所にはいりかね    望翠

 「一間所(いっけんどこ)」は「ひとまどころ」のことでコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一間所」の解説」に、

 「〘名〙 一柱間を仕切った室。転じて一室。ひとま。
  ※曾我物語(南北朝頃)三「かれらを一まどころに呼びければ」

とある。鑓が長すぎて入れず、鑓がたまたま風呂桶に擦ってしまい漏れてしまった。
 二十四句目。

   持鑓の一間所にはいりかね
 あほうつかへば皆つかはれる   土芳

 「馬鹿と鋏は使いよう」という諺があるが、阿呆をうまく使うことができれば、誰でもうまく使える。前句の槍持ちをその阿呆とした。

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