2021年8月12日木曜日

 今日は朝から曇っていて、時折雨が降る。涼しくて秋が来たというのが実感できる。世間は今日からお盆休みに入るのだろう。オリンピックの去りにしあとはただ秋の風。
 「其にほひ」の巻の二十七句目、

   雪ふりこむでけふも鳴瀧
 にこにこと生死涅槃の夢覚て   支考

 この句が気になってしまったのは、支考もひょっとして光の体験があったのでは、ということだ。西田幾多郎の金沢の町の体験や、ハイデッガーのLichtungの比喩など、哲学にはまる人は多かれ少なかれ光の体験を持っているのではないかと思う。支考もその一人だったとしたら、生涯に渡る俳論へのこだわりは理解できる。筆者もその一人だから。
 正岡子規も明治二十七年ごろにそうした体験があったのではないかと思う。子規は清国にいた弟子の飄亭に「小生の哲学は僅に半紙三枚なり」と言い、

(1)我あり (命名)我を主観と名く。
       (命名)主観ありとするものを
       自覚と名く

と記し、その補足として「此我と云ふは言ふに言はれぬものなり世間の我といふ意味と思ふ可らず」と付け加えている。
 アダムの知恵のリンゴの実なんて生易しいものではない。哲学はドラッグだ。みんな光の奴隷だった。

 それでは「朝顔や」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   弁当ほどくもとの居屋敷
 うき事の佐渡十番を書立て    沾圃

 「佐渡十番」が不明。流罪になった世阿弥が佐渡で謡曲を十番書いたということか。特にそういう史実があるわけではないが。
 二十六句目。

   うき事の佐渡十番を書立て
 名古曽越行兼載の弟子      芭蕉

 名古曽は勿来の関で、場所は不明。北茨城といわき市の境に勿来の関があるが、本当にここだったかどうかは定かでない。磐城平藩の殿様が東北の様々な歌枕を領内に擬えて作った、その一つと思われる。
 連歌師の猪苗代兼載は会津の出身で陸奥に縁がある。ここでは本人ではなくその弟子が勿来の関を越えたとしている。あくまで作り話で、特に故事はないと思われる。
 前句を世阿弥のこととして、対句的に作る相対付けであろう。
 二十七句目。

   名古曽越行兼載の弟子
 かぢけたる紅葉は松の間々に   魯可

 「かぢける」は生気を失うこと。前句の勿来の関の風景とする。
 二十八句目。

   かぢけたる紅葉は松の間々に
 袂そぬらす宵の月蝕       沾圃

 この興行が七月何日のものかはわからないが、国立天文台の「日月食等データベース」によると、元禄六年(一六九三年)七月十七日に皆既月食があった。さっそくそれをネタにしたのかもしれない。
 月食で辺りは暗くなり、紅葉も色を失う。
 二十九句目。

   袂そぬらす宵の月蝕
 御しとねの上さへ風は身に入ミて 史邦

 「しとね」はコトバンクの「家とインテリアの用語がわかる辞典「茵」の解説」に、

 「敷物の一種。綿(わた)や筵(むしろ)の芯(しん)を畳表(たたみおもて)または絹織物で包み、縁をつけた座具。平安時代は、座る人の身分によって縁の材質や色が決められていた。また寝具として用いるものもあり、この場合は「褥」の字をあてることが多い。」

とある。
 ここでは寝具の褥であろう。月食で真っ暗になり、愛しい人も通ってこない。
 三十句目。

   御しとねの上さへ風は身に入ミて
 愛らしげにも這まはる児     魯可

 児(ちご)はここでは幼児のことであろう。褥で寝る貴婦人は子持ちだった。
 二裏、三十一句目。

   愛らしげにも這まはる児
 すすめとて直キに院家の廻ラるる 里圃

 前句の児(ちご)をお寺の稚児とする。やがて勧進のために院家を廻ることになる。
 院家(いんげ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「院家」の解説」に、

 「〘名〙 大寺に属する子院(しいん)で、門跡(もんぜき)に次ぐ格式や由緒を持つもの。また、貴族の子弟で、出家してこの子院の主となった人。院主(いんす)。
  ※太平記(14C後)三〇「山門園城の僧綱、三門跡の貫首、諸院家の僧綱、并に禅律の長老」

とある。
 三十二句目。

   すすめとて直キに院家の廻ラるる
 夏も小野には鶯がなく      乙州

 院家は小野にあり、山の中なのか、夏でも鶯がなく。
 小野はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小野」の解説」に、

 「[一] 京都市山科区南端の地名。中世には小野郷。真言宗善通寺派(もと小野派本山)随心院(小野門跡)、醍醐天皇妃藤原胤子の小野陵がある。
  ※拾遺(1005‐07頃か)雑秋・一一四四「み山木を朝な夕なにこりつめて寒さをこふるをのの炭焼〈曾禰好忠〉」
  [二] 京都市左京区八瀬、大原一帯の古名。小野朝臣当岑が居住し、惟喬(これたか)親王が閉居した所。
  ※伊勢物語(10C前)八三「睦月にをがみ奉らむとて、小野にまうでたるに、比叡の山の麓なれば、雪いと高し」
  [三] 滋賀県彦根市の地名。中世の鎌倉街道の宿駅で、上代には鳥籠(とこ)駅があった。小野小町の出生地と伝えられる。
  ※義経記(室町中か)二「をのの摺針(すりばり)打ち過ぎて、番場、醒井(さめがい)過ぎければ」
  [四] 兵庫県中南部、加古川中流域の地名。小野氏一万石の旧城下町。特産品に鎌、はさみ、そろばんなどがある。昭和二九年(一九五四)市制。」

とあり、いくつかある。
 三十三句目。

   夏も小野には鶯がなく
 雨ふればめつたに土の匂ひ出   沾圃

 田舎の方では雨が降れば土の匂いがする。
 三十四句目。

   雨ふればめつたに土の匂ひ出
 縄でからげし家ゆがみけり    里圃

 家を縄でぐるぐる巻きにすればゆがむ。崩れないようにということなのか。
 三十五句目。

   縄でからげし家ゆがみけり
 塩物に咽かはかする花ざかり   乙州

 前の縄で縛られた家の住人は、花盛りだというのに塩漬けの保存食ばかり食べていて喉が渇く。
 挙句。

   塩物に咽かはかする花ざかり
 奈良はやつぱり八重桜かな    沾圃

 奈良の人は塩辛いものを好んだのか。その奈良で花盛りといえば、

 いにしへの奈良の都の八重桜
     けふ九重ににほひぬるかな
              伊勢大輔(詞花集)

であろう。

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