2021年1月29日金曜日

 今日は旧暦十二月十七日で満月。今日は一日良く晴れて月が見えた。
 昨日一昨日に続いて『新しい世界 世界の賢人16人が語る未来』(講談社現代新書)で、ますマルガブだが、冒頭からコロナがあたかも大きな問題でないかのように温暖化の方が深刻と言い出す。しかもコロナとの戦いはフィクションで、ウイルスは友達だという。あとはアメリカのネットビジネスへの不信。渋谷で反マスクデモをやっている平塚さんとか仲良くなれそうな感じだ。
 実際に多くの人が死んでいるのだからコロナの脅威は現実でありフィクションではない。ただ、極端な観念論だと、どちらも意味論の問題に解消される。コロナは人を殺すことに何一つ手加減はしないから友達になれといっても無理な話だ。
 サンデルさんはもっぱらアメリカの話だが、トランプ支持者層を能力主義の敗者となった低学歴の労働者層と決めつけているようなところがある。民主党への批判はただ彼らへもっと思いやりを持てというだけのことで、基本的には正しいと思っている。軽蔑するか憐れむかだけの違い。
 あとシジェクの爺さん、何か随分怖がってるね。同じマル系でもマルガブと違うのは、年齢的に感染したらやばいからかな。
 ボトンさんの最悪の事態を想定せよというのとカミュから学べというのは賛成。生への執着を捨てるというのは、多分永遠の命を望むなかれということだと思う。感染していいということではない。

 それでは「あら何共なや」の巻の続き。

 二表。
 二十三句目

   いつ焼つけの岸の欵冬
 よし野川春もながるる水茶碗   信章

 吉野の山吹は、

 吉野河岸の山吹ふくかぜに
     そこの影さへうつろひにけり
              紀貫之(古今集)
 吉野川岸の山吹咲きにけり
     嶺の桜は散りはてぬらん
              藤原家隆(新古今集)

などの歌に詠まれている。
 水茶碗はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 水などを飲む茶碗のことか。
  ※俳諧・信徳十百韻(1675)「涼しさは錫の色なり水茶碗 湯帷かたしく庭の夏陰」

とある。どうもよくわからないようだ。錫の色とあるから金属製だったのだろう。お湯を入れると熱くて持てないから水専用ということか。
 曲水の宴なら盃が流れてくるが、酒は入ってなくて水茶碗だった。
 二十四句目。

   よし野川春もながるる水茶碗
 紙袋より粉雪とけ行       信徳

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「薬袋」とした、とある。
 紙袋から出した粉薬を粉雪に見立て、水茶碗の水に溶け行く、とする。
 二十五句目。

   紙袋より粉雪とけ行
 風青く楊枝百本けづるらん    桃青

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は『和漢朗詠集』の、

 気霽風梳新柳髪 氷消波洗旧苔鬚
 気霽(はれ)ては風新柳の髪を梳(くしけづ)り、
 氷消ては波旧苔の鬚を洗ふ。

から来ているとする。
 楊枝は字面通りだと楊の枝だ。楊と柳は違うが同じ「やなぎ」だし、それ百本をくしけづる(櫛で梳かす)ではなく単に「けづる」とする。和漢朗詠集の詩句を意図的に誤読したところにシュールな面白さが生まれる。最後が「らん」で断定せずに推量とするところも大事。
 二十六句目。

   風青く楊枝百本けづるらん
 野郎ぞろへの紋のうつり香    信章

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に紋楊枝のことだとある。紋楊枝はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、歌舞伎役者などの定紋をつけた楊枝。
  ※俳諧・大矢数千八百韻(1678)一二「紋楊枝十双倍にうりぬらん 人をぬいたる猿屋か眼」

とある。どういう形状の楊枝かはよくわからない。
 西鶴の大矢数の句は役者の紋の入った楊枝が二十倍で売れるというのだから、この頃にも転売ヤーがいたのか。そこで「猿屋」が登場している。日本橋さるやは宝永の創業なのでこの頃はまだなかったが、元禄の頃に書かれた『人倫訓蒙図彙』に「猿は歯白き故に楊枝の看板たり」とあるらしく(ウィキペディアによる)、猿屋を名乗る楊枝屋はそれ以前にもあったのだろう。
 信章の句に「うつり香」とあるから、香りを染み込ませた楊枝だったのだろう。歌舞伎だからまあ、野郎ばかりだが。
 二十七句目。

   野郎ぞろへの紋のうつり香
 双六の菩薩も爰に伊達姿     信徳

 双六は古い形のバックギャモンで、日本では古くから博打に用いられてきた。
 一方それとは別に絵双六という今でいう双六に近いものもあって、ウィキペディアには、

 「絵双六(えすごろく、繪雙六)というのは、上記の盤双六の影響を受けて発達した遊戯で、紙に絵を描いてさいころを振って絵の上のマスの中にある駒を進めて上がりを目指すものである。ただし、かなり早い段階で(賭博の道具でもあった)盤双六とは別箇の発展を遂げていった。
 ただし、最古のものとされる浄土双六には絵の代わりに仏教の用語や教訓が書かれており、室町時代後期(15世紀後半)には浄土双六が遊ばれていたとされる。なお、その名称や内容から元は浄土宗系統の僧侶によって作られたとも言われ、江戸時代の井原西鶴の作品(『好色一代男』など)には浄土双六がしばしば登場する。」

とある。
 この句にある「双六の菩薩」は絵双六の方であろう。
 二十八句目。

   双六の菩薩も爰に伊達姿
 衆生の銭をすくひとらるる    桃青

 前句の双六を浄土双六ではなくギャンブルに用いる盤双六に転じる。菩薩が伊達姿で賭場を開いて、衆生救済ではなく、衆生の銭を掬い取る。桃青ならではなシュール展開になる。
 二十九句目。

   衆生の銭をすくひとらるる
 目の前に嶋田金谷の三瀬川    信章

 三瀬川(みつせがわ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 仏語。亡者が冥土(めいど)に行く時に渡るという川。渡る所が三か所あり、生前の罪の有無軽重によってどこを渡るかを決定するとされる。みつのせがわ。三途の川。
  ※蜻蛉(974頃)付載家集「みつせがはあささのほどもしらはしと思ひしわれやまづ渡りなん」

とある。三途の川のこと。嶋田金谷の三瀬川は越すに越されぬ大井川のこと。渡るのに銭を取られる。
 三十句目。

   目の前に嶋田金谷の三瀬川
 から尻沈む淵はありけり     信徳

 「から尻」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 江戸時代の宿駅制度で本馬(ほんま)、乗掛(のりかけ)に対する駄賃馬。一駄は本馬の積荷量(三六~四〇貫)の半分と定められ、駄賃も本馬の半額(ただし夜間は本馬なみ)を普通としたが、人を乗せる場合は、蒲団、中敷(なかじき)、小附(こづけ)のほかに、五貫目までの荷物をうわのせすることができた。からじりうま。かるじり。
  ※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)一「歩(かち)にてゆく人のため、からしりの馬・籠のり物」
  ② 江戸時代、荷物をつけないで、旅人だけ馬に乗り道中すること。また、その馬。その場合、手荷物五貫目までは乗せることが許されていた。からじりうま。かるじり。
  ※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)五「追分よりから尻(シリ)をいそがせぬれど」
  ※滑稽本・東海道中膝栗毛(1802‐09)四「このからしりにのりたるは、〈略〉ぶっさきばおりをきたるお侍」
  ③ 馬に積むべき荷のないこと。また、その馬。空荷(からに)の馬。からじりうま。かるじり。
  ※雑兵物語(1683頃)下「げに小荷駄が二疋あいて、から尻になった」
  ④ 誰も乗っていないこと。からであること。
  ※洒落本・禁現大福帳(1755)五「兄分(ねんしゃ)の憐(あはれみ)にて軽尻(カラシリ)の罾駕(よつで)に取乗られ」

とある。どれのことかはよくわからないが、とにかく大井川には馬の沈む淵もある。
 三十一句目。

   から尻沈む淵はありけり
 小蒲団に大蛇のうらみ鱗形    桃青

 から尻の①のところに「人を乗せる場合は、蒲団、中敷(なかじき)、小附(こづけ)のほかに」とあるように、小蒲団を尻の下に敷いて乗った。
 鱗形はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 模様や形の名。三角形を一つまたは三つ以上その頂点をあうように組み合わせて配列したもの。歌舞伎では狂言娘道成寺に清姫が蛇体になることを表わした衣装に用い、能楽では鬼女などの衣装に用いる。つなぎうろこ。うろこ。いろこがた。
  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)「小蒲団に大虵のうらみ鱗形(ウロコガタ)〈芭蕉〉 かねの食つぎ湯となりし中〈信章〉」

とある。
 から尻の馬が沈むのは鱗形模様の座布団を敷いたりしたから、大蛇の怒りに触れたからだとする。
 三十二句目。

   小蒲団に大蛇のうらみ鱗形
 かねの食つぎ湯となりし中    信章

 「食(めし)つぎ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 飯櫃(めしびつ)。おはち。
  2 懐石に用いる道具の一。飯を入れる器。」

とある。金属製の飯櫃も溶けて湯になるような恋。
 前句を「思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺す」(ウィキペディアより)とする「安珍・清姫伝説(あんちんきよひめでんせつ)」とし、お寺の釣り鐘ではなく「かねの食つぎ」と矮小化することで俳諧にする。
 三十三句目。

   かねの食つぎ湯となりし中
 一二献跡はさびしく暮過て    信徳

 式三献のことであろう。ウィキペディアの「世界大百科事典内の式三献の言及」に、

 「室町時代以後,武家社会の礼法の固定化が進むに伴って整えられた饗膳(きようぜん)形式であるが,年代や料理の流派の差によって内容にはかなりの異同がある。一例を挙げると《宗五大草紙(そうごおおぞうし)》(1528)には,初献(しよこん)に雑煮,二献に饅頭(まんじゆう),三献に吸物といった肴(さかな)で,いわゆる式三献(しきさんこん)の杯事(さかずきごと)を行い,そのあと食事になって,まず〈本膳に御まはり七,くごすはる〉とあり,一の膳には飯と7種のおかず,以下二の膳にはおかず4種に汁2種,三の膳と四の膳(与(よ)の膳)にはおかず3種に汁2種,五・六・七の膳にはそれぞれおかず3種に汁1種を供するとしている。また,〈五の膳まで参り候時も,御汁御まはりの数同前〉とも記されている。」

とある。この後半にある「一の膳には飯と7種のおかず」に食(めし)つぎだけが出てきて、「二の膳にはおかず4種に汁2種」がさ湯だけになって、後はなし。寂しく一日を終わる。釜のお焦げを湯で溶いて飲むなら韓国式だが。
 三十四句目。

   一二献跡はさびしく暮過て
 月はむかしの親仁友達      桃青

 「親仁」は「おやじ」のこと。月だけが友とは寂しい。あと自分の影があれば三人だが、ってそれは李白の「月下独酌」だ。
 三十五句目。

   月はむかしの親仁友達
 蛬無筆な侘ぞきりぎりす     信章

 蛬は「きりぎりす」と読む。コオロギのこと。「無筆」は読み書きができない、「侘」は侘び人のこと。月を友とする。
 三十六句目。

   蛬無筆な侘ぞきりぎりす
 胸算用の薄みだるる       信徳

 薄(すすき)の影に潜んでいれば寒くなっても大丈夫だと胸算用していたコオロギも、その頼みの薄もやがて枯れてしまう。

0 件のコメント:

コメントを投稿