今日は一日雨。でもまだ雪にはなってない。
さて、「たび寐よし」の興行の後、次は二月中頃の伊勢での八吟歌仙興行になる。
そこで一年ほど時を戻して貞享三年の冬、日付はわからないが、江戸で八吟歌仙興行が行われている。それを読んでみよう。
ただ、二句欠落してしまったか、三十四句しか残っていない。
発句は、
冬景や人寒からぬ市の梅 濁子
脇が其角だから其角亭で興行された可能性が高い。其角亭がどこにあったかは定かでないが、『元禄の奇才宝井其角』(田中善信著、二〇〇〇、新典社)によれば、曰人(わつじん)の『蕉門諸生全伝』の其角の父東順のところに「始メ甚右衛門町ニ居シ、人別帳、今存ス。本町ニ在り」とあり、貞享四年(一六八七)に刊行された『江戸鹿子』に、「堀江町 亀鶴」とあるのが其角だという。いずれにせよ日本橋界隈で、日本橋室町にあった魚河岸に近かったと思われる。
市場には人がたくさんいて冬でも熱気にあふれている。それを寒い中に咲く寒梅に喩えて「市の梅」とする。ひいては、ここに集まっている人たちも、というところか。
脇。
冬景や人寒からぬ市の梅
となりを迷ふ入逢の雪 其角
市場の熱気に押されて、夕暮れの入相の鐘の鳴る頃の雪も隣へ追いやられて迷っている。
日本橋の鐘というと、ウィキペディアに、
「江戸時代の時の鐘は最初江戸城に置かれていた。その後、徳川秀忠の頃、1626年に時の鐘を辻源七が本石町三丁目(今の日本橋本町四丁目)に移し、鐘楼堂を建てた。」
とある。
第三。
となりを迷ふ入逢の雪
年の貧たはら負行詠して 芭蕉
前句の「となりを迷ふ」を隣を見て迷うとし、隣で米俵を背負っている人を詠(ながめ)して、我が身の貧しさを付ける。
四句目。
年の貧たはら負行詠して
火をたく舟の星くらき空 仙化
時の暮に夜遅くまで舟の荷揚げ作業を行う貧しさ。大晦日だと月はない。昔の人は満天の星空を美とする感覚はなく、星くらき闇と捉えていた。
五句目。
火をたく舟の星くらき空
鷺うごく松おもしろき磯の月 枳風
前句を漁船として磯の景色を付ける。
六句目。
鷺うごく松おもしろき磯の月
甲にをらんすすき一むら コ齋
笠の上にススキを二束刺して兜のようにしようということか。
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