2021年1月23日土曜日

  今日は一日雨。でもまだ雪にはなってない。

 さて、「たび寐よし」の興行の後、次は二月中頃の伊勢での八吟歌仙興行になる。
 そこで一年ほど時を戻して貞享三年の冬、日付はわからないが、江戸で八吟歌仙興行が行われている。それを読んでみよう。
 ただ、二句欠落してしまったか、三十四句しか残っていない。
 発句は、

 冬景や人寒からぬ市の梅     濁子

 脇が其角だから其角亭で興行された可能性が高い。其角亭がどこにあったかは定かでないが、『元禄の奇才宝井其角』(田中善信著、二〇〇〇、新典社)によれば、曰人(わつじん)の『蕉門諸生全伝』の其角の父東順のところに「始メ甚右衛門町ニ居シ、人別帳、今存ス。本町ニ在り」とあり、貞享四年(一六八七)に刊行された『江戸鹿子』に、「堀江町 亀鶴」とあるのが其角だという。いずれにせよ日本橋界隈で、日本橋室町にあった魚河岸に近かったと思われる。
 市場には人がたくさんいて冬でも熱気にあふれている。それを寒い中に咲く寒梅に喩えて「市の梅」とする。ひいては、ここに集まっている人たちも、というところか。
 脇。

   冬景や人寒からぬ市の梅
 となりを迷ふ入逢の雪      其角

 市場の熱気に押されて、夕暮れの入相の鐘の鳴る頃の雪も隣へ追いやられて迷っている。
 日本橋の鐘というと、ウィキペディアに、

 「江戸時代の時の鐘は最初江戸城に置かれていた。その後、徳川秀忠の頃、1626年に時の鐘を辻源七が本石町三丁目(今の日本橋本町四丁目)に移し、鐘楼堂を建てた。」

とある。
 第三。

   となりを迷ふ入逢の雪
 年の貧たはら負行詠して     芭蕉

 前句の「となりを迷ふ」を隣を見て迷うとし、隣で米俵を背負っている人を詠(ながめ)して、我が身の貧しさを付ける。
 四句目。

   年の貧たはら負行詠して
 火をたく舟の星くらき空     仙化

 時の暮に夜遅くまで舟の荷揚げ作業を行う貧しさ。大晦日だと月はない。昔の人は満天の星空を美とする感覚はなく、星くらき闇と捉えていた。
 五句目。

   火をたく舟の星くらき空
 鷺うごく松おもしろき磯の月   枳風

 前句を漁船として磯の景色を付ける。
 六句目。

   鷺うごく松おもしろき磯の月
 甲にをらんすすき一むら     コ齋

 笠の上にススキを二束刺して兜のようにしようということか。

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