今日は一日曇って寒かった。
コロナの方は東京はようやく頭打ちというか高止まりの傾向が見えてきた。ただその分地方に広がって、地方の方が増えている。
外出している人が多いということで非難するなら、外出せざるを得ない状況を作っている企業をもっと責めるべきではないか。
基本的に日本の企業はデジタルトランスフォーメーション(DX)に出遅れていて、テレワークも非常時の一時的な措置と考えている会社が多い。
前にも日本は一過性の災害に離れているが持続亭な災害には弱いと書いたが、コロナも一過性で止まない雨はないんだから、今ちょっと我慢すればすべて元に戻るという感覚で、今投資しても世の中全体が元に戻ってしまえばどうせ無駄になるという感覚になっているのではないか。
どの業界でも、少しでも外出・移動・対面せずに経済を回せるように取り組んでほしい。仕事だから不要不急ではないなんて言い訳はしないでほしい。
さて、次の俳諧だが、旧暦で師走になったので、芭蕉の旅も師走まで飛んで十二月一日に熱田桐葉亭で行われた三吟を読もうと思う。
旅人と我見はやさん笠の雪 如行
を発句とする半歌仙だが、「旅人と」の巻は「我名よばれん」の発句の巻とかぶるし、別の名前にするには今回の句は「我名よばれん」の句を踏まえた対になるものなので、「旅人と(笠の雪)」の巻とした。
「笠寺や」の巻と今回の「旅人と(笠の雪)」の巻の間に巻かれた「磨なをす」の巻、「稲葉山」の巻は既に鈴呂屋書庫の蕉門俳諧集の方にアップしているし、外にも今まで俳話で読んできた俳諧がいくつかまた、多少訂正加筆したりしてにアップしているので、蕉門俳諧集の方もよろしく。
それでは発句。
芭蕉老人京までのぼらんとして熱田にしばし
とどまり侍るを訪ひて、我名よばれんといひ
けん旅人の句をきき、歌仙一折
旅人と我見はやさん笠の雪 如行
芭蕉がこの『笈の小文』の旅に出る際に詠んだ、
十月十一日餞別會
旅人と我名よばれん初霽 芭蕉
の句を如行が聞いて、ならば見はやさん、応じる。「はやす」は合いの手を入れて盛り上げることで、「笠に雪が積もり」はるばる雪の中をやってきた姿を見れば、なるほど旅人だと歓迎する意味になる。
如行は大垣の人で、芭蕉さんが来ていると知って熱田の桐葉宅に駆け付けた。
本来歌仙は一の懐紙の表裏、二(名残)の懐紙の表裏の二折で、「歌仙一折」は半歌仙になる。
脇はもちろん芭蕉さんが。
旅人と我見はやさん笠の雪
盃寒く諷ひ候へ 芭蕉
「はやす」から「諷(うた)ひ」を付け、「雪」から「盃寒く」と四手に受ける。
発句の「見はやさん」と主体を変えずに、旅人と見はやすから、寒いけど謡ってくれと二句一章にする。まあ、如行さんも大垣から旅をしてきたのだし、ともに旅人だということで、この半歌仙を楽しもう。
第三は亭主の桐葉が付ける。まあ、三吟だから桐葉さんしかいないが。
盃寒く諷ひ候へ
有明の鉢の木を刈初て 桐葉
「鉢の木」では字足らずで、『校本芭蕉全集 第三巻』の注によると、『桃の白実』の方のテキストでは「鉢の木賊(とくさ)」となっているから、「賊」の一字抜け落ちたのだという。
「鉢の木賊」は謡曲『鉢木』を踏まえたもので、大雪の中を旅の僧がやってきた時に梅桜松の鉢植えの木を折って、惜しげもなく焚き木にした、その人物があの「いざ鎌倉」の佐野源左衛門常世だった。
桐葉の句も客人をもてなす句になっていて、発句の情を去ってはいないが、そこは心意気ということで良しとしよう。季節は秋に転じる。
なお、木賊はそれほど選定の必要のない草で、傷んだ枝を落とす程度だと園芸のサイトに書いてあった。小さいけど恐竜の時代に栄えた鱗木の仲間だという。
四句目。
有明の鉢の木(賊)を刈初て
露になりけり庭の砂原 如行
木賊を植えた庭には玉砂利が敷き詰められていて露に輝いている。
五句目
露になりけり庭の砂原
こみかどに駒引むこふ頭ども 芭蕉
駒引きとする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 平安時代、毎年八月中旬に、諸国の牧場から献上した馬を天皇に御覧に入れる儀式。天皇の御料馬を定め、また、親王、皇族、公卿にも下賜された。もと、国によって貢馬の日が決まっていたが、のちに一六日となり、諸国からの貢馬も鎌倉末期からは信濃の望月の牧の馬だけとなった。秋の駒牽。《季・秋》 〔九暦‐九条殿記・駒牽・天慶元年(938)九月七日〕
※俳諧・去来抄(1702‐04)先師評「駒ひきの木曾やいづらん三日の月〈去来〉」
とある。「こみかど」は正門ではない門。ここでは馬のための入口。
六句目
こみかどに駒引むこふ頭ども
椎の古枝を腰に折添 桐葉
大嘗祭の時には柴垣に椎の枝を挿すが、この「椎の古枝」も宮廷儀式に必要なものだったのだろう。
ちなみにウィキペディアによれば、貞享四年三月二十一日に霊元天皇の譲位によって東山天皇が即位し、四月に即位式を行った後、「さらに11月16日には長く廃絶していた大嘗祭の儀式を復活させた。」とある。
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