2021年1月24日日曜日

  今日も一日雨だが雪にはならなかった。
 スポーツが男女別に分かれているのは、てっきり男女の身体能力に差があるからだと思っていたが、最近では精神の差で分けるように変わってきている。
 身体的にハンディがあるからというのはまだわかるが、精神に何かハンディでもあるのだろうか。心が女だと何か問題があるのだろうか。男女の精神に差がないのなら分ける必要がないのではないか。
 身体的には明らかに男女に差がある。陸上の女子100メートルの世界記録は10秒49だが、それを上回る男子選手は何百人か、もっといるかもしれない。そのなかに心が女だという人が一人ぐらいいてもおかしくない。他の競技でもそうだと思う。
 将来的には事実上女子として生まれたものがスポーツ大会の上位から締め出される可能性があるし、そもそも何のために男女を別にしているのか考え直した方が良い。
 男と女は生まれながらに身体的に差がある。また性においては明確に非対称性が存在する。肉体的な差を無視して精神において男女を規定すると、結局は生まれた時に男だったものがたとえ精神が女でも明らかに優位に立てる。今は差別を受けているからハンディがあるかもしれないが、差別がなくなれば明らかに優位に立てる。
 心が女でも肉体的に男性としての機能を持っているなら、それは女性にとって脅威になる。心は女だとはいっても性的志向は環境に左右されやすい。心が女でも女性に性的に反応することは実際にありうる。
 精神を基礎とする今の人権派の言うようなLGBTの開放は、LGBT内部でもペニスを持つものが優位に立つことになる。LGBTの開放には賛成だが、LGBTの開放は肉体的な差異にもっと関心を払うべきだ。そうしないと結局は女に生まれたものが、同性愛か異性愛か両刀かにかかわらず男に生まれたもののそれよりも不利になる。
 それでは「冬景や」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   甲にをらんすすき一むら
 太刀持る童のぬれて露しぐれ   仙化

 木の枝か棒を太刀にして遊んでる子供であろう。ススキに露が降りていて、それを頭にかざそうとすると頭が露で濡れてしまう。
 八句目。

   太刀持る童のぬれて露しぐれ
 車のみすにつつむすずむし    濁子

 前句の「太刀持る童」を太刀持ちの侍童(さぶらいわらわ)とする。goo辞書の「デジタル大辞泉」に、

 「貴人のそばに仕えて雑務をする少年。さむらいわらわ。
 「をかしげなる―の姿好ましう」〈源・夕顔〉」

とある。
 九句目。

   車のみすにつつむすずむし
 尋来る友引地蔵茅朽て      其角

 「友引地蔵」は謎だがウィキペディアには、

 「六曜が中国から日本に伝来したのは14世紀の鎌倉時代とされる。江戸時代に入って六曜の暦注は流行した。しかし、その名称や解釈・順序は少しずつ変化している。例えば小泉光保の『頭書長暦』では大安、立連、則吉、赤口、小吉、虚妄となっている。六曜の先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の術語が確定するのは江戸後期のことである。」

とあるから、今の意味での「友引」ではなかったと思われる。単に長年会ってない友に会えるとか、そういうご利益のある地蔵なのか。
 前句を茅の朽ちた地蔵を尋ねて止めた貴族の車の周りで鳴いている鈴虫として、車を包む鈴虫の声とする。
 十句目。

   尋来る友引地蔵茅朽て
 うれしと飢にいちご拾はん    枳風

 前句の「茅朽て」を飢饉として、お地蔵さんのところに来たらナワシロイチゴが実っていて、早速ご利益を得る。「うれし」は「嬉しい」と「熟れし」を掛けている。
 十一句目。

   うれしと飢にいちご拾はん
 櫛かがみまくらに添て残しけり  仙化

 前句の「うれし」を更に「売れ」と掛ける。母に先立たれ形見に櫛と鏡を残された子は、まずはイチゴを摘んで飢えを満たす。
 十二句目。

   櫛かがみまくらに添て残しけり
 御歌合明日とちぎる夜      其角

 王朝時代、通ってきた男が、明日は帝の許での歌合せがあるというので、契った後櫛と鏡を枕元に残して去ってゆく。
 十三句目。

   御歌合明日とちぎる夜
 加茂川の流れを胸の火にほさむ  コ齋

 加茂社歌合としたか。加茂川の流れも干上がるほど恋をしてというような歌を思いつく。
 十四句目。

   加茂川の流れを胸の火にほさむ
 萩ちりかかる市原のほね     芭蕉

 京都市原の補陀落寺は小野小町の終焉の地とされている。謡曲『通小町』では、僧が市原に訪れると、

 秋風の吹くにつけてもあなめあなめ
     小野とは言はじ薄生ひけり

という歌が聞こえてくる。この歌は鴨長明の『無名抄』では、在原業平が陸奥を旅した時に、「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」という歌が聞こえてきて、行ってみると目から薄の生えた髑髏が見つかる。人に聞くとここが小野小町の終焉の地だという。そこで業平が「小野とはいはじ薄生ひけり」と付けたという物語になっている。謡曲では陸奥ではなく京都市原になっている。
 このことを踏まえて、前句を小野小町の恋歌として、市原の小町の髑髏に萩を添えて弔う歌にする。
 十五句目。

   萩ちりかかる市原のほね
 鵙の鳴方に杖つく夕まぐれ    文鱗

 前句の骨をモズの早贄とする。モズの鳴く方に行ってみたら早贄が見つかる。
 十六句目。

   鵙の鳴方に杖つく夕まぐれ
 牛を彩なす月のそめぎぬ     濁子

 日は沈み月が出て牛を照らし出す。江戸時代までの日本在来牛は色の濃い黒っぽいのが多いので、この場合の「そめぎぬ」は墨染の衣、僧衣のことか。
 十七句目。

   牛を彩なす月のそめぎぬ
 花の日を忘八の長とかしづかれ  李下

 「忘八」は「くつわ」と読む。weblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 「《仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)の八つの徳目のすべてを失った者の意から》郭(くるわ)通いをすること。また、その者。転じて、遊女屋。また、その主人。」

とある。忘八の長は女郎屋の主人ということになる。
 そうなると前句の「牛」は妓夫(ぎゅう)のことか。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「遊里で客を引く男。遣手婆について,二階の駆引き,客の応待などもした。私娼や夜鷹についている場合もある。「牛」または「牛太郎」ともいい,「妓有」とも書くが,「妓夫」の字をあてたのは明治以降のことであるといわれる。この言葉の源は,承応の頃 (1652~55) ,江戸,葺屋町の「泉風呂」で遊女を引回し,客を扱っていた久助という男にあり,『洞房語園』によると,その男の煙草 (たばこ) を吸うさまが「及 (きゅう) 」の字に似ていたので,人々が彼をして「きゅう」というようになり,それがいつしか「ぎゅう」となり,やがて,かかる男たちの惣名になった,とある。」

とある。
 「花の日」は花見の日だとすれば遊女や妓夫から「忘八の長」とかしづかれて機嫌を良くした長が妓夫に月のようなきれいな服を着せてやったということか。
 十八句目。

   花の日を忘八の長とかしづかれ
 桃になみだが一国の酔      枳風

 遊郭は傾城とも呼ばれ、これは『漢書』で美人を例えた「一顧傾人城、再顧傾人国」から来ているという。一目見れば城が傾き、もう一回見れば国が傾く。
 「桃になみだ」はおそらく前句の「花」から、杜甫の『春望』の「時に感じて花にも涙を濺ぎ」で、遊郭花街が盛り上がっていると、国は酔いしれ杜甫なら桃の花に涙をする、と勿論本気に憂いているのではなく、糞真面目な人間を笑う意味で言っているのだろう。

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