コロナの方はちょうど今正月三が日の都会で人が減り地方に移動していた頃から二週間で、その通りに都会では頭打ち、地方で急増となった。これから仕事始めで日常が帰ってきたころの分になる。油断はできない。
日本では相変わらずネトウヨ(オールド資本主義)とパヨク(脱資本主義)の戦いだが、アメリカは既に陰謀論と持続可能資本主義との戦いになっているようだ。日本もそのうちそうなるのかな。それとも日本はまた取り残されて、いつまでもネトウヨ・パヨクから抜け出せないのかな。
さて、次に読むのは貞享四年十二月四日名古屋の聴雪宅での興行。発句は、
箱根越す人もあるらし今朝の雪 芭蕉
句の方は説明するほどのものでもないが、まあ、他人事だけど今日箱根を越す人は大変だろうなという句。
脇は聴雪宅なので、
箱根越す人もあるらし今朝の雪
舟に焼火を入るる松の葉 聴雪
発句の箱根越すに対して、舟で行くから船の上で暖まるためによく燃える松の葉を積んでゆくとする。
寓意といえばまあ、せいぜい「雪降って寒いですね」「なら火を焚きましょう」くらいのもの。
第三。
舟に焼火を入るる松の葉
五六丁布網干せる家見えて 如行
一丁は約百九メートルだから五六百メートルもあるような布網を干してある家があるということ。そんなに長い網があるのかと思ったら、「近畿の漁法と安全運航」というpdfファイルを見ると、いかなご船びき網漁業(2そう引き)の場合の漁具は最長で四百五十メートル、シラスの場合は五百から六百メートルに達する、と書いてある。
布網というから目の細かい網で、シラス漁に用いるなら五六丁もあながち誇張でもないのかもしれない。
ただ、桃隣の「舞都遲登理」の旅での目分量で測った寸法は実際よりだいぶ大きいこともあったから、多少は誇張されているかもしれない。
まあとにかく、昔の名古屋の辺りだから、シラスかシラウオを取るための長い網が漁村にあったということだろう。
シラウオは芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で桑名で詠んだ、
あけぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉
の句がある。この辺りのシラウオ漁は厳冬に行われていた。
四句目。
五六丁布網干せる家見えて
枴むれつつ葭の中行 野水
「枴(あふこ)」は物を荷うための天秤棒のこと。大きな網の干してある辺りでは、獲れたシラウオを運ぶための天秤棒を担いだ人たちが大勢葭(ヨシ)の中を行く。
五句目
枴むれつつ葭の中行
明るまで戻らぬ月の酒の酔 越人
月見で飲んだ酒の酔いは夜が明けるころまで醒めない。大きな宴会なのか、それまで天秤担いで酒の肴を運ばなくてはならない。
六句目
明るまで戻らぬ月の酒の酔
蔀々を上る盆の夜 荷兮
「蔀(しとみ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 光や風雨をさえぎるもの。
※書紀(720)皇極四年六月(岩崎本平安中期訓)「是の日に、雨下(ふ)りて、潦水(いさらみつ)庭に溢(いはめ)り。席障子(むしろシトミ)を以て鞍作か屍(かはね)に覆(おほ)ふ」
② 柱の間に入れる建具の一つ。板の両面あるいは一面に格子を組んで作る。上下二枚のうち上を長押(なげし)から釣り、上にはねあげて開くようにした半蔀(はじとみ)が多いが、一枚になっているものもある。寝殿造りに多く、神社、仏閣にも用いる。しとみど。
※蜻蛉(974頃)上「明かうなれば、をのこどもよびて、しとみあげさせてみつ」
③ 船の舷側に設ける、波・しぶきよけで、多数の蔀立(しとみたつ)を立ててそのあいだに板を差し入れるもの。五大力船、小早、渡海船など本格的な垣立のない中小和船に用いる。〔和漢船用集(1766)〕
④ 築城で、外から城内が見え透くところをおおっておく戸の類。
※甲陽軍鑑(17C初)品三九「信玄公御家中城取の極意五つは、一、辻の馬出し、二にしとみのくるわ、しとみの土居」
⑤ 町屋の前面にはめこむ横戸。二枚あるいは三枚からなり、左右の柱の溝にはめ、昼ははずし、夜ははめる。「ひとみ」ともいう。しとみど。」
とある。時代的には⑤であろう。外したり嵌めたりするものだが、上古からの習慣で上げる、降ろすと言っていたのだろう。
蔀々と複数だから、それぞれの家の蔀戸がみんな開いていて、お盆の夜は皆先祖の霊を迎えて酒を飲みかわす。
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