今日も晴れて四日の月が見えた。
それでは「旅人と(雪の笠)」の巻の続き、挙句まで。
初裏。
七句目。
椎の古枝を腰に折添
覆盆子ふむ山より村の雨晴て 如行
山奥の村人とする。焚き木にするのだろう。
八句目。
覆盆子ふむ山より村の雨晴て
老声くるし夏の鶯 芭蕉
老鶯は近代では夏の季語になっているようだが、この時代はそのままでは春なので「夏の鶯」とする。宗因独吟に、
口まねや老の鶯ひとり言 宗因
夜起きさびしき明ぼのの春
ほの霞む枕の瓦灯かきたてて
きせるにたばこ次の間の隅
とあり、春の季語になっているのは明らか。
山村の雨上がりに夏の鶯を付ける。
九句目。
老声くるし夏の鶯
物喰ハで昼寝がちなる襟 桐葉
「襟」は「ものおもひ」と読む。なぜそう読むのかはよくわからない。
夏はただでさえ食欲がなくなるし、暑いと動きたくなくて昼寝がちになるが、それにまぎれて恋のもの思いにふける。外では夏の鶯の声がする。
十句目。
物喰ハで昼寝がちなる襟
又ふみ書て車返しつ 如行
古代の牛車で通ってきた男に直接対応せずに手紙だけ渡して追い返す。やつれた姿を見せたくないということなのか。
十一句目。
又ふみ書て車返しつ
樒籠に見よし摘たる山の草 芭蕉
「見よし」は「見よと」の間違いではないかと『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある。
樒(しきみ)は木偏に密と書くように、密教と結びついていたようだ。『源氏物語』の「若菜下」では出家した朧月夜に宛てて長文の手紙を書くが、その返事の手紙に樒の枝が添えてあった。
ここではその物語を下敷きにしながら、尼寺に直接乗り込んできた男に樒籠を見せて、ここから出ることはないというメッセージを送ることになる。
十二句目。
樒籠に見よし摘たる山の草
印くづれし柴人のみち 桐葉
山の草を摘みに行った柴人がおいた枝折(道しるべ)が帰る時に何かに乱されてわからなくなる。鳥が加えていったか、動物が踏み荒らしたか。
十三句目。
印くづれし柴人のみち
橇作る家も淋しき春の風 如行
日本の橇にはスキーのような二本の板の上に籠を乗せた物、人が乗る屋根付きの駕籠を乗せた物などがある。籠を編むのは農閑期の仕事だったのだろう。
春風に雪が融けて柴人の道も橇がいらなくなる。
十四句目。
橇作る家も淋しき春の風
三ヶ月細く節句しりけり 芭蕉
三日月が見えれば三月三日の上巳だと分かる。雪国で春の遅い土地だと実感がわきにくいのだろう。
十五句目。
三ヶ月細く節句しりけり
鵜を入る初川いそぐ花の蔭 桐葉
今の長良川の鵜飼いは毎年(新暦で)五月十一日から十月十五日までとなっているが、観光用ではなく生業としてやってた頃は旧暦三月には初漁を行ってたのだろう。
十六句目。
鵜を入る初川いそぐ花の蔭
美濃侍のしたり顔なる 如行
長良川の鵜飼いは美濃侍にとっても郷土の誇りというところか。美濃は作家の司馬遼太郎が「美濃を制するものは天下を制す」と言ったように、生産力が高く、かつ京にも近いという土地ということもあってか、幕府はここに有力大名が出ることを警戒し、幕府直轄領になっていた。余所の藩士たちの中にいると肩身が狭かったのかもしれない。
一方、鵜匠の方は古代には宮廷直属の官吏だったというが、江戸時代は普通に漁師だった。今は宮内庁の職員だという。
十七句目。
美濃侍のしたり顔なる
御即位によき白髪と撰出され 芭蕉
先にも述べたが貞享四年は東山天皇の即位した年だった。ただ、その式典に白髪の美濃侍がいたかどうかは知らない。
挙句。
御即位によき白髪と撰出され
植て常盤の百本の竹 桐葉
「竹取の翁」の縁か。白髪に竹を付ける。
竹は松や梅とともにお目出度い木(式目上は木でも草でもない)で、この一巻も目出度く終わる。
『校本芭蕉全集 第三巻』の注によれば、『如行子』の底本に「はせを心地不快ニして是にてやみぬ」、『桃の白実』のも「はせを心地不快して是迄にて止ぬ」とあるという。芭蕉さんの体調不良で半歌仙で切り上げたと思われる。
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