昨日に続いて『新しい世界 世界の賢人16人が語る未来』(講談社現代新書)だが、タレブさんの「反脆弱性」という考え方も面白いね。基本的にどんな社会でも程よい混沌が必要なんだと思うよ。何でもかんでも一つの秩序で縛り付けてしまったら、そこで進歩が止まってしまうし、不測の事態への対応が出来なくなってしまっている。老子も「混沌は万物の母」と言っているし、自分の考えにも近い気がする。
その次のモロゾフさんだが、幸いなことに日本にはまだネオリベラリズムもソリューソニズムもかけらすらない。相変わらずアナログなコロナ対応をやっているが、それでおさまっているから大丈夫だ。
ピケティさんは相変わらず資本主義を乗り越えるといいながら、その先の世界へのビジョンはないようだ。キャピタルゲインへの累進課税はあってもいいと思う。その場合、筆者のような零細投資家は非課税にしてほしいもんだ。一定の年齢での一律投資資金給付は自分も考えたことがある。ただ、投資せずにパーッとすぐに全部使っちゃう人は必ずいると思う。そういうやつに限って、金がないからもっとよこせって言うもんだ。
あと日本にはビリオネアは少ない。フォーブス誌のビリオネア番付では2020年の日本の10億USドル以上の資産を保有するビリオネアは30人。最高位が39位、立派な成績ではないか。別に国で規制しているわけではない。ビリオネアを減らすのは政策ではなく文化ではないかと思う。カルロス・ゴーンも逃げ出した国だしね。
それでは「あら何共なや」の巻の続き。
初裏。
九句目。
ふけてしばしば小便の露
きき耳や余所にあやしき荻の声 信徳
荻の上風は古くから和歌連歌に詠まれてきたが、これは荻の中で誰かがしょんべんしているというだけ。
十句目。
きき耳や余所にあやしき荻の声
難波の芦は伊勢のよもいち 桃青
『菟玖波集』に、
草の名も所によりてかはるなり
難波の葦は伊勢の浜荻 救済
とあるが、それのもじり。
「伊勢のよもいち」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、
「伊勢の人で百人の卜占師。耳がさとく五音によって卜ったことで有名」とある。
十一句目。
難波の葦は伊勢のよもいち
屋敷がたあなたへざらりこなたへも 信章
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に発句の時にも出てきた謡曲『芦刈』の一節が引用されている。
「雨の芦辺も乱るるかたを波、あなたへざらりこなたへざらり。」
芦の揺れる様子を表す言葉だが、ここでは伊勢のよもいちが引っ張りだこで、あっちの屋敷へざらり、こっちの屋敷はざらりとなる。
十二句目。
屋敷がたあなたへざらりこなたへも
替せ小判や袖にこぼるる 信徳
ウィキペディアによると、日本の為替の歴史は古く、
「日本の『かわせ』の語は中世、『交わす』(交換する)の連用形『かわし』と呼ばれていたものが変化したものである。日本で「為替」という言葉が生まれたのは、鎌倉時代である。この時代、鎌倉で俸給をもらう下級役人が現れており、俸給として鎌倉に入って来る年貢を先取りする権利が与えられた。その際に権利証書として「為替」が発行されたのである。あるいは、鎌倉番役や京都大番役を勤める中小の御家人が、地元の所領からそれぞれが金銭や米を持ち込まなくとも、大口の荘園や有力御家人の年貢の運送に便乗する形で、鎌倉や京都で金銭や米を受け取るシステムとして、為替の仕組みが生まれている。つまりこの時代の為替は、金銭のみならず米その他の物品の授受にも用いられていたのである。
いわゆる金銭のみの授受としての、日本で最古の為替の仕組みは室町時代の大和国吉野で多額の金銭を持って山道を行くリスクを避けるために考えられ、寛永年間に江戸幕府の公認を受けた制度であるとされている。吉野には大坂などの周辺地域の商人も出入しており、大坂商人の為替はこれを参照したとする説もある。また、鎌倉時代以来存在した割符との関係も指摘されている。
江戸時代の日本では、政治・消費都市である江戸と経済的中心である大坂(更に商工業が発展した都・京都を加える場合もある)の間で商品の流通が盛んになった。それは多額かつ恒常的な貨幣流通の需要を生じさせるとともに、支払手段としての貨幣機能の発展、信用取引の発展を促して、両替商あるいは大都市それぞれに店舗を持つ大商人を仲介とした為替取引を発達させた。」
とある。
金持ちの屋敷から屋敷へ為替や小判は移動するが、なかなか庶民の所には回ってこない。
十三句目。
替せ小判や袖にこぼるる
物際よことはりしらぬ我涙 桃青
物際(ものきは)はこの場合盆と正月の前の決算のことで、なけなしの為替や小判も袖から出て行ってしまう。
十四句目。
物際よことはりしらぬ我涙
干鱈四五枚是式恋を 信章
まえくの物際を瀬戸際の意味にする。
貞享二年に芭蕉は。
躑躅生けてその陰に干鱈割く女 芭蕉
の句を詠むが、干鱈は棒鱈とちがって柔らかく、水で戻さなくてもそのままかじることができる。干鱈を咲いている様子が女が悲しみに文を引き裂いている様子と似ているというのが俳諧のネタになる。
干鱈四五枚は本当は手紙四五枚だったのだろう。
十五句目。
干鱈四五枚是式恋を
寺のぼり思ひそめたる衆道とて 信徳
衆道の多くは環境依存で同性愛になるだけで、寺を出ればノンケに戻ることも多い。今の男子校や女子高のようなもの。本物のLGBTは少数。これしきの恋。
十六句目。
寺のぼり思ひそめたる衆道とて
みじかき心錐で肩つく 桃青
お寺の閉鎖された環境では衆道もすぐに思い詰めて、喧嘩や心中沙汰も起こりやすい。
十七句目。
みじかき心錐で肩つく
ぬか釘のわづかのことをいひつのり 信章
「ぬかに釘」という諺がある。「柳に風」と同じ。聞き流せば済むことでもいちいちケチをつけたがる。今のネットもそうだが。
十八句目。
ぬか釘のわづかのことをいひつのり
露がつもつて鐘鋳の功徳 信徳
前句の「ぬか釘」をただの釘として、塵も積もれば山となるように、釘もたくさん集めればお寺の釣り鐘になる。古い携帯だってたくさん集めればその中のレアアースが再利用できる。
十九句目。
露がつもつて鐘鋳の功徳
うそつきの坊主も秋やかなしむ覧 桃青
仏教には「方便」という考え方があり、布教の為なら作り話をしてもいいことになっている。「嘘も方便」は諺にもなっている。
布教のために根も葉もない物語を語っては涙の露を誘い、それが積もり積もって立派な釣り鐘になる。
今の左翼も革命の為ならフェイクニュースを拡散させてもいいと思っているが、それはちょっとちがう。陰謀説のフェイクニュースは真実だと信じてのものだから、それもまたちがう。
二十句目。
うそつきの坊主も秋やかなしむ覧
その一休に見せばやの月 信章
今では一休さんというとテレビアニメの影響が強いが、実際はとんでもない破戒坊主だったようだ。その一休さん、
嘘をつき地獄へおつるものならば
なきことつくる釈迦いかにせん
という狂歌も残しているという。やはり嘘つきだったようだ。
二十一句目。
その一休に見せばやの月
花の色朱鞘をのこす夕まぐれ 信徳
一休さんはウィキペディアに、
「木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を風刺したものであったとされる。」
とある。昔から有名なエピソードだったのだろう。
夕日が満開の桜を朱に染めてゆき、やがて満月が登る。一休さんに見せてやりたい。
二十二句目。
花の色朱鞘をのこす夕まぐれ
いつ焼つけの岸の欵冬 桃青
「欵冬」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 植物「ふき(蕗)」の古名。また「つわぶき(橐吾)」の古名ともいう。〔本草和名(918頃)〕」
とある。「款冬」のところを見ると「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「③ 植物「やまぶき(山吹)」の異名。
※和漢朗詠(1018頃)上「雌黄を著して天に意(なさけ)あり 款冬(くゎんどう)誤って暮春の風に綻ぶ〈作者未詳〉」
とある。郭公をホトトギスと読むようなもので、欵冬はヤマブキと読む。
「焼(やき)つけ」はweblio辞書の「デジタル大辞泉」に、
「1 写真で、印画紙の上に原板を重ね、光を当てて露光させ、陽画を作ること。プリント。「べたで焼き付けする」
2 陶磁器の上絵付けのこと。
3 金属に塗料を塗ったのち加熱し、塗膜を乾燥・硬化させること。
4 めっきをすること。」
とある。この場合は4の意味で、黄金色の山吹の花はいつ金メッキをしたのかという意味になる。前句の花の色の朱鞘に応じたもの。
なお、めっきの技術についてはウィキペディアに、
「日本へは仏教とともに技術が伝来したといわれている。1871年に偶然発見された仁徳天皇陵の埋葬品である甲冑(4~5世紀頃)が日本最古である可能性(埋葬者は仁徳天皇と確定していない)があるが、甲冑は埋め直しが行なわれたため現存していない。」
とある。また、エキサイト辞書には「平凡社 世界大百科事典」の「鍍金」の項目が載っていて、
「アマルガム鍍金は江戸時代に書かれた《装剣奇賞》によると,その一つは,器物の表面をよく磨き,梅酢で洗浄し,砥粉(とのこ)と水銀を合わせてすりつけた上に金箔を置き,火であぶることを2,3度くりかえす箔鍍金法である。もう一つは,灰汁でよく器物を煮,その上を枝炭や砂で磨き,梅酢で洗ったのち,金粉と水銀をよく混合したアマルガムを塗布し,熱を加えると水銀が蒸発し金だけが表面に残る。これを2度ほどくりかえし,鉄針を横にしてこすり,刷毛で磨き,緑青で色上げする方法である。上代では後者に近い方法がとられたものと推定される。アマルガム鍍金は水銀を蒸発させるときに生ずるガスが有害で,人畜の皮膚や呼吸を冒すばかりでなく生命も危険である。平安時代以降には,素地の表面に水銀を塗り,金箔をはって箔を焼きつける技法もあらわれた。また水銀有毒ガスの危険を免れるため,そして鍍金と同様の効果をあげるため,漆で金箔を付着させる漆箔法が塗金法として開発されている。」
とある。
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