2020年10月29日木曜日

 今日は十三夜。朝から快晴でついさっきまで月が見えていたが、急に曇ってきた。十三夜今日は火星を伴にして。

 さて、楽しかったみちのくの旅も終わり、最後はこの大御所が締めてくれます。芭蕉が江戸に出てきた頃からの弟子にして親友だった素堂さん、それではいってみよう。

 「はせを老人の行脚せしみちのおくの跡を尋ねて、風雲流水の身となりて、さるべき處々にては吟興を動し、他は世上のこゝろごゞろを撰そへて、むつちどりと名付らる。其人や武陽の桃隣子也。予がむかし、かならず鹿嶋・松嶋へといへるごとく、己を忘れずながら年のへぬれば、夕を秋の夕哉といひけむ、松島の夕けしきを見やせまじ、見ずやあらまし。みちのおくはいづくはあれど松島・塩竈の秋にしくはあらじ。花の上こぐ海士の釣舟と詠じけるをきけば、春にもこゝろひかれ侍れど、なをきさかたの月・宮城野の萩、其名ばかりをとゞめをきけむ、實方の薄のみだれなど、いひつゞくれば、秋のみぞ、心おほかるべき、白河の秋風。
   時是元禄丑の年秋八月望に
              ちかきころ
                  素堂
                   かきぬ」

 「みちのおくの跡を尋ねて、風雲流水の身となりて、さるべき處々にては吟興を動し」までは「舞都遲登理」の部分で、「他は世上のこゝろごゞろを撰そへて」他の巻に収められた発句や俳諧のことであろう。「世上のこゝろごゞろ」は素堂の選んだ言葉だが、いわゆる門の垣根を越えて幅広くいろいろなものを選んだ、蕉門から外れた調和や不角の句を選んだことも、「世上のこゝろごゞろ」といえば理解できる。こうして『陸奥衛』全五巻が成立した。
 ここからは素堂の独り言のようになる。素堂もいつか必ず鹿島や松島を見に行くんだとずっと心に思い続けていて、行くなら秋に行きたいと言う。

 松嶋や五月に來ても秋の暮 桃隣

の句に共鳴してのことかもしれない。芭蕉も桃隣も夏の松島だった。秋に行っては見たいけど、帰り道で雪に足止めされることを心配してのことだったか。
 このあと象潟の花の上こぐ海士の釣舟もいいけど、それでも象潟の月、宮城野の萩に心惹かれ、実方の形見の薄になってもいいから秋に行きたいと繰り返し、「白河の秋風」と能因の歌を思い起こして終わる。
 そして日付の所で「秋八月望にちかきころ」と今が秋であることで、秋のみちのくに惹かれる理由というか落ちをつけてこの跋文は終わる。これはこれで何とも俳諧らしい剽軽な終わり方だ。「元禄丑の年」だから桃隣が帰ってきて一年後、元禄十年になる。

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