「安々と」の巻の続き。
二表。
十九句目。
輾る車もせかぬ春の日
鳶の巣の下は芥を吹落し 狢睡
鳶は春に木の上に枝を集めて巣を作る。その時使えない枝を下に落としたりもするのだろう。今の時代だと枝だけでなくいろいろなゴミも拾ってくるらしい。前句の「春の日」に応じて春のあるあるネタを付ける。
二十句目。
鳶の巣の下は芥を吹落し
ささやく事のもろき聲なり 正幸
「もろい」には涙のこぼれやすいという意味がある。今にも泣きそうな声ということだろう。トンビのピーヒョロロという声に寄せての展開だろうか。
二十一句目。
ささやく事のもろき聲なり
なげきつつ文書内は戸をさして 楚江
前句の今にも泣きそうな声を、苦しい恋に文を書いている様子とした。
二十二句目。
なげきつつ文書内は戸をさして
いくらの山に添ふて来る水 兎苓
「いくら」はたくさんのという意味。たくさんの山があってもその都度水が添うて来るというのは、夫婦仲睦まじいという比喩だろうか。苦しいときには戸を閉ざして文を書くことはあっても、それも乗り越えていけるということなのだろう。
二十三句目。
いくらの山に添ふて来る水
汗臭き人はかならず遠慮なき 葦香
汗臭き人は常に労働している人で、いわゆる山賤(やまがつ)のことか。山を歩いてくるとたいてい気安く近寄ってくる。「水」は汗のことであろう。
二十四句目。
汗臭き人はかならず遠慮なき
せめてしばしも煙管はなたず 惟然
「せめて」は古語では強調の言葉として用いられる。汗臭く無遠慮な人はだいたいにおいていつも煙管を咥えていて手放さない。位付け。
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