「ひぐらしのなく頃に」のアニメが今頃になって新しいのが作られたが、「鬼滅の刃」からの連想買いだろうか。「おおかみかくし」の方が共通点が多いと思うが。闘っているし。
さて、旧暦九月の俳諧ということで選んでみたのは、元禄二年九月四日、美濃大垣の左柳こと浅井源兵衛宅で行われた歌仙興行で、ここで芭蕉と曾良は再会する。
『奥の細道』にも、
「露通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子・荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び且いたはる。」
とあり、『奥の細道』のエンディングともいえる感動的な場面だ。この文章はすぐに、
「旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の迂宮おがまんと、又舟にのりて、
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
と続き、『奥の細道』はここで終わる。
この日九月四日、芭蕉は如水の家に集まり、芭蕉、如水、如行、伴柳、路通、誾如の六吟一巡(表六句)を詠んでいる。ここに曾良の名前はない。
曾良の『旅日記』には
「四日 天気吉 源太夫へ会ニテ行」
とだけある。そういうわけで、芭蕉と曾良との蘇生の者に逢うがごとき感動的な再会は如水宅ではなく左柳宅だった。
さて、その時の発句。
はやう咲九日も近し宿の菊 芭蕉
「咲」は「さけ」と命令形になる。
重陽も近いというので菊も早く咲いてくれと、特に寓意のない、時節柄を詠んだだけの句のように思える。
脇。
はやう咲九日も近し宿の菊
心うきたつ宵月の露 左柳
発句に応じて重陽を待ち望む気持ちで和す。四日の月は夕方に出るから宵月になる。発句に「日」の字があるので、去り嫌いを避けて脇で月を出す。
第三。
心うきたつ宵月の露
新畠去年の鶉の啼出して 路通
今年新たに開いた畑に、棲家を奪われた去年の鶉が鳴いている。収穫は嬉しいが、鶉の身になると悲しくなる。このあたりが路通の「細み」といえよう。
「うきたつ」はここでは心に沸き上がるという意味で、何がというと「露」つまり泪だ。
四句目。
新畠去年の鶉の啼出して
雲うすうすと山の重なり 文鳥
前句の新たに開いた畑を山の中の畑とし、山が重なり薄雲がかかる遠景を付ける。
文鳥は『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の宮本注によれば、荊口の三男だという。此筋(しきん)、千川(せんせん)、文鳥(ぶんちょう)の三兄弟がいて、この時は千川は参加していない。
五句目。
雲うすうすと山の重なり
酒飲のくせに障子を明たがり 越人
酒飲みが障子を開けたがるのは、体が熱くなるからか、それとも小便が近いからか。別に景色を見ようなどと殊勝な心持ではないだろう。
六句目。
酒飲のくせに障子を明たがり
なをおかしくも文をくるはす 如行
障子を開ければ風が入ってきて紙がひらひらと動き、書いていた文も滅茶苦茶になる。
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