東京のコロナの新規感染者数はほとんど増えてないが、北海道や大阪などそれ以外の地方で増えてきている。これまで実効再生産数が1で安定していたが、その均衡が悪い方に破れなければいいが。
東京オリンピックを「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として」なんて言っているが、勝ってから言った方がいい。取らぬ狸が多すぎる。
それでは「はやう咲」の巻の続き。
二表。
十九句目。
塩すくひ込春の糠味噌
万歳の姿斗はいかめしく 木因
万歳は正月に複数の人で行われる角付け芸だが、その衣装についてはウィキペディアに、
「室町時代中期に門付けが一般化してくると、その際に太夫は裁着袴(たつつけばかま)をはいた。江戸時代には三河出身の徳川家によって優遇された三河萬歳は、武士のように帯刀、大紋の直垂の着用が許された。各地に広まった萬歳は、後に能や歌舞伎などの要素を取り入れたりしたことによって、さらに衣装が多様化した。」
とあり、姿だけは立派な武士のように見えたのだろう。だがどこか糠味噌の匂いがする。
二十句目。
万歳の姿斗はいかめしく
村はづれまで犬に追るる 斜嶺
昔の田舎では犬の放し飼いは普通だった。怪しいものが来るとどこまでも追いかけてくる。
二十一句目。
村はづれまで犬に追るる
はなし聞行脚の道のおもしろや 此筋
芭蕉や曾良も犬に追いかけられたことあったのかな。
二十二句目。
はなし聞行脚の道のおもしろや
二代上手の医はなかりけり 残香
医者の二代目は医の方の才能がなく、俳諧師になって行脚の道に出るって、そりゃあ其角さんに失礼だ。それとも去来さんのこと?
二十三句目。
二代上手の医はなかりけり
揚弓の工するほどむつかしき 曾良
「揚弓」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、
「遊戯用の小弓。ヤナギ(楊・柳)製の85cmほどの弓で,ハクチョウの羽をつけた矢をつがえ,約13.5mの距離にある的を射る。この遊戯は唐の玄宗皇帝が楊貴妃とともに楽しんだとも伝えられ,古く中国から渡来し,室町時代には宮中の七夕七遊(ななあそび)の一つとしていろいろな作法を伴っていた。江戸時代に入ると民間でも賭(かけ)付きで行われるようになり,元禄期には楊弓場が出現した。」
とある。最後の「楊弓場」は矢場とも言われ、「やばい」の語源とも言われている。
俳諧師になるのはまだましな方で、矢場にはまってしまうと面倒くさい。
二十四句目。
揚弓の工するほどむつかしき
烏帽子かぶらぬ髪もうすくて 如行
これは弓を作る職人の匠であろう。烏帽子を被らない髪はいわゆる茶筅になるが、それすらみすぼらしい。
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