きょうは旧暦八月二十七日。明け方には細い月が見える。この月の呼び方だが、「めづらしや」の巻の四句目に、
絹機の暮閙しう梭打て
閏弥生もすゑの三ヶ月 露丸
というのがあったから、八月末の三日月、あるいは「末の三日月」でいいのか。
それでは「安々と」の巻の続き。
二十五句目。
せめてしばしも煙管はなたず
風やみて流るるままの渡し船 成秀
この場合は運河を航行する渡し船だろう。風に流されることなく放っておいても船が勝手に進んでいくので、船頭は何もせずにずっと煙管をふかしている。
二十六句目。
風やみて流るるままの渡し船
只一しほと頼むそめもの 路通
友禅流しのことだろう。色挿し(いろさし)の時は一筆一筆に精魂を込め、最後に川で余分な染料や伏糊を洗い流す。
二十七句目。
只一しほと頼むそめもの
はしばしは古き都のあれ残リ 紫䒹
近江上布のことか。「月見する」の巻の二十六句目に「高宮」が出てきた時に、高宮が近江上布とも呼ばれ、コトバンクの麻宮布の「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「〘名〙 滋賀県彦根市高宮付近で産出される麻織物。奈良晒(ならざらし)の影響を受けてはじめられ、近世に広く用いられた。高宮。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」
とあった。古都奈良に滋賀もまた古都で、二つの古都の文化を合わせて生まれたのが近江上布だった。
「あれ残り」というとやはり、
さざなみや志賀の都は荒れにしを
昔ながらの山桜かな
平忠度(千載集)
の心か。
二十八句目。
はしばしは古き都のあれ残リ
月見を当にやがて旅だつ 丈草
古都で見る月もまた格別なもので、そのためにあえて旅をする。「やがて」は「すぐに」という意味。
二十九句目。
月見を当にやがて旅だつ
秋風に網の岩焼石の竈 兎苓
網の岩は「沈子(いわ)」のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、
「漁具の下辺に取り付けられ、漁具を水中に沈降させる役目をする資材で、「いわ」「びし」ともよばれる。浮子(あば)(浮き)とは逆の働きをする。網漁具では、網地を下方に展開させて水中で所望の形状を保たせる役目をする。釣り漁具では「錘(おもり)」や「しずみ」などとよぶことが多く、浮きと併用して釣り針を棚(魚の遊泳水深)に安定させる役割を果たす。材質は、沈降力が大きく、破損・腐食しにくく、造形加工が容易であるものが望まれる。形状は水中での抵抗が少ない球形、円筒形などが多い。沈子の材料として、従来は陶器(比重2.13)、陶素焼(比重1.72)、錬鉄(比重7.78)、鋳鉄(比重7.21)、石盤石(比重2.62)、錬火石(比重1.90)、セメント(比重2.16)などが用いられたが、現在では鉛(比重11.35)が多く使われている。」
とある。昔は陶器の物も用いられていた。比重はセメントとそれほど変わらない。
竈は「くど」とルビがふってあるが、「竈 (くど)」はウィキペディアに、
「竈(かまど)のうち、その後部に位置する煙の排出部を意味する(原義)。
この意味では特に「竈突」「竈処」と表記されることもある。また『竹取物語』には「かみに竈をあけて…」という一節が存在する。
京都などでは、竈(かまど)そのものを意味し、「おくどさん」と呼ぶ。南遠州地方でも、かまど自体をクドと呼んでいた。」
とある。ここでは竈そのもののこと。
前句の「当(あて)」を酒の肴のこととし、月見をするための肴を調達にすぐに旅立つということか。
三十句目。
秋風に網の岩焼石の竈
粟ひる糠の夕さびしき 狢睡
「ひる」は「簸(ひ)る」で糠(もみがら)を箕(み)で篩い分けることをいう。
貧しい漁村の景とする。
0 件のコメント:
コメントを投稿