今日は雨がやや強く降ったが、大した風もなく台風は過ぎて行きそうだ。
金木犀が散って雨にオレンジの色がまぶしいくらいだ。欅やプラタナスも色づき始め晩秋へと向かっている。
それでは「安々と」の巻の続き。
初裏。
七句目。
城とりまはす夕立の影
我がものに手馴る鋤の心能 正則
「心能」は「こころよく」と読む。
夕立の雲に旱魃の心配もなく農家は鋤をふるう。真新しい鋤もようやく手になじみ、平和と豊かさはあのお城のおかげだと藩主の徳を称える。
八句目。
我がものに手馴る鋤の心能
石の華表の書付をよむ 楚江
「書付」は「鎌倉タイム」というサイトで引用されている水戸光圀編纂による『新編鎌倉志』の鶴岡八幡宮の鳥居についての記述に、
「今の鳥居は、寛文乙巳(きのとのみ)の年より、戊申(つちのへさる)の秋に至(いたる)まで、上(かみ)・下(しも)の宮(みや)、諸の末社等に至(いたる)まで、御再興有し時の鳥居なり。其書付(かきつけ)に、鶴岡八幡宮の石隻華表、寛文八年戊申八月十五日、御再興とあり。」
とある。鳥居に記された銘のことであろう。
農業も順調だから寄付も集まり、神社に立派な石の鳥居が建立され、銘が刻まれる。
九句目。
石の華表の書付をよむ
鴻鶴の森を見かけて競ひ行 勝重
「鴻鶴」はコウノトリなのかヒシクイなのかは微妙だ。コウノトリはしばしば鶴と一緒にされ、お目出度いものとされるが、ヒシクイの場合は哀鴻遍野という四字熟語もあるように悲しげなものとなる。
打越からの大きな展開を考えるなら、ここはヒシクイとして飢饉で腹をすかした人たちの比喩とすることもできる。その場合は神社で炊出しが行われると聞いて村民が殺到する様子となる。
十句目。
鴻鶴の森を見かけて競ひ行
衾つくりし日は時雨けり 葦香
比喩ではなく鳥の方のヒシクイは冬鳥で晩秋に飛来する。ここでは前句を競うように次々とやってくる本物のヒシクイとし、時期的にはちょうど初時雨の頃となる。
「衾(ふすま)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 布などでこしらえ、寝るときに体をおおう夜具。ふすま。よぎ。
※参天台五台山記(1072‐73)三「寝所置衾。或二領三領八十余所」 〔詩経‐召南・小星〕」
とある。冬に備えて衾を準備する。
十一句目。
衾つくりし日は時雨けり
拍子木に物喰僧の打列て 兎苓
衾を作っているのを大きな寺院の修行僧とする。
ちなみに「食堂」という言葉は元は寺院の食事をする施設だったという。コトバンクの「百科事典マイペディアの解説」には、
「寺院建築の一つ。古代では大衆(僧で身分の低い人)が食事をする建物で,主要な建物の一つであった。禅宗では斎堂(さいどう),僧堂として残っているが,他宗では庫裡(くり)に移行した。法隆寺に奈良時代の遺構があり,東大寺,興福寺に遺跡がある。」
とある。
十二句目。
拍子木に物喰僧の打列て
瀧を隔つる谷の大竹 正秀
大竹は日本固有の「しの」や「すずたけ」(メダケなどをいう)や竹細工などに使われるマダケではなく、中国から入ってきた孟宗竹のことだろう。当時はまだ珍しく、渡来僧や留学僧が持ち込んだものがお寺の周囲に植えられたのではないかと思う。初夏になれば大きな筍が食卓に上ることだろう。そのためにはまず修行。滝に打たれて。
0 件のコメント:
コメントを投稿