雨は止んだけど一日曇り。セイタカアワダチソウが少しずつ色づいている。
それでは「安々と」の巻の続き。
十三句目。
瀧を隔つる谷の大竹
月影にこなし置たる臼の上 正則
この場合の「こなす」は粉に成すという元の意味だろう、臼とセットになっている。
名月の頃なら蕎麦だろう。蕎麦切りを作るために蕎麦の実を石臼で挽いてそれを月の光が照らす。
月影を雪に喩えた紀貫之の、
月影も雪かと見つつ弾く琴の
消えて積めども知らずやあるらむ
紀貫之(貫之集)
が元になっているが、ここでは蕎麦の粉を雪に喩えたのだろう。
瀧があって水も良く、竹林に住む隠士の打つ蕎麦はまた格別にちがいない。
十四句目。
月影にこなし置たる臼の上
只ちらちらときりぎりす鳴 重氏
「あなむざんやな」の巻のところでも触れたが、キリギリスはコオロギのこと。
十五句目。
只ちらちらときりぎりす鳴
糊こはき袴に秋を打うらみ 重古
秋になるとびしっと糊のきいた袴を履かなくてはならない。辺りではコオロギが鳴いているところなど、田舎侍だろうか。
十六句目。
糊こはき袴に秋を打うらみ
鬢のしらがを今朝見付たり 芭蕉
人間の一生を四季に喩えれば、春は青春秋は白秋、老化で白髪が混じる時期になる。いわゆる「さび」を感じさせる句だ。
がつくりとぬけ初る歯や秋の風 杉風
は『猿蓑』の句で、秋は老化の季節。この句をひっくり返すと、
万緑の中や吾子の歯生え初むる 草田男
になる。
十七句目。
鬢のしらがを今朝見付たり
年々の花にならびし友の数 丈草
この場合の友は友達ではなく伴の方か。出世して、毎年恒例の花の宴の参加者も増え、年々にぎやかになってゆくが、そろそろ鬢に白髪が混じり、隠居も近い。昔は四十前後で隠居した。目出度さの中に淋しさもある。
十八句目。
年々の花にならびし友の数
輾る車もせかぬ春の日 正則
王朝時代の花宴であろう。
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