2018年9月30日日曜日

 今夜また台風が通り過ぎるようだ。どうか被害が出ませんように。
 それでは「一泊り」の巻の続き、挙句まで。

 二裏、三十一句目。

   そろそろ寒き秋の炭焼
 谷越しに新酒のめと呼る也    蘭夕

 今の清酒に近い日本酒は室町時代には広まっていたが、それと平行してどぶろくも広く飲まれていた。
 芭蕉の天和三年の、

 花にうき世我が酒白く飯黒し   芭蕉

は玄米とどぶろくの質素な生活を詠んだものだろう。
 芭蕉の時代は清酒の方も四季醸造から寒造りへの移行期で、それまでは一年中酒が造られていたが、気温によって発酵の仕方が変化するため、品質が一定しなかった。
 ウィキペディアによれば、

 「日本では、古来より江戸時代初期に至るまで、真夏の盛りを除いて一年を通じて以下のように酒を醸していた。
 新酒(しんしゅ)
 旧暦八月(今の新暦では九月ごろに相当)に前年に収穫した古米で造る。
 間酒(あいしゅ)
 初秋に造る酒。今でいえば九月下旬で、残暑厳しい折ではあるが、そのために乳酸菌の発酵が容易だったなどのメリットもあった。たいへんな臭気をはなったという。
 寒前酒(かんまえさけ)
 晩秋に造る酒
 寒酒(かんしゅ)
 冬場に造る酒。のちに寒造りとして残っていく。
 春酒(はるざけ)
 春先に造る酒。冬に比べて気候が暖かくなっているので、浸漬(しんせき)の時間も日を追って短くすることが留意された。また蒸米は冷ましきってから弱く仕掛けるなど、発酵が進みすぎないようにいろいろな工夫がなされた。」

とある。
 ただ、芭蕉の時代にはこの新酒ではなく、寒造りの酒の早稲で仕込んで晩秋に発酵を終える際に生じる「あらばしり」だったと思われる。
 江戸後期の曲亭馬琴編『増補 俳諧歳時記栞草』にはこうある。

 「新酒[本朝食鑑]新酒は、凡(およそ)、新択(しんえり)の新米一斗を用てこれを醸し、須加利(酒を濾布嚢也)に填(つつ)みて舟に入、其酒の水、半滴(なかばしたた)る、復(また)、布嚢に入て圧(おす)ときは、酒おのづから滴り出づ。酒滴り尽て後、汁を取、滓(かす)を去。これを新酒といふ。」

 このあらばしりの頃に新しい緑の杉玉を吊るし、新酒ができたのを知らせるようになるのはもう少し後で、一茶の時代になる。
 『阿羅野』の、

 我もらじ新酒は人の醒やすき   嵐雪

の発句は、あらばしりがあっさりした味でアルコール度数も低いため、嵐雪のような大酒飲みには向かなかったということなのだろう。
 秋も終わりに近づき寒くなってくると、谷の向こうを歩く炭焼きに向って「新酒飲んでかんかえ」と酒屋の声が聞こえる。
 三十二句目。

   谷越しに新酒のめと呼る也
 はや辻堂のかろき棟上げ     路通

 辻堂というと今では湘南のイメージだが、元は東海道と鎌倉街道の交差する辻にお堂があったという。
 本来辻堂は旅人のために立てられた休息所で、江戸時代初期に福山藩の初代藩主水野勝成が作らせた四本の柱と屋根からなる簡単な東屋風の建物で、四つ堂とも憩亭とも言われている。
 柱を立てたらすぐに棟上であっという間に出来上がる。
 新しい辻堂ができたから、早くこっち来て新酒でも飲んでゆけと、村人が谷の向こうにいる旅人に声をかけたのだろう。
 路通は芭蕉と出会う前には筑紫を旅していると言うので、途中で福山の辻堂のお世話にもなったのだろう。
 三十三句目。

   はや辻堂のかろき棟上げ
 打むれてゑやみを送る朝ぼらけ  白之

 この場合は旅人の休息所ではない。福山のローカルなネタだったので、よくわからなかったか。
 「ゑやみ」は疫病神のことで、京都が発祥でのちに地方でも行われるようになった、疫病神を追い払うための道饗祭(みちあえのまつり)のための臨時のお堂のこととしたか。
 三十四句目。

   打むれてゑやみを送る朝ぼらけ
 麦もかじけて春本ノママ     芭蕉

 「かじける」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「①  寒さで凍えて、手足が自由に動かなくなる。かじかむ。 「手ガ-・ケタ/ヘボン 三版」
 ②  生気を失う。しおれる。やつれる。 「衣裳弊やれ垢つき、形色かお-・け/日本書紀 崇峻訓」

とある。麦が旱魃で萎れてしまい、春だというのに植えないのと同じことになってしまった。これは飢饉だ。疫病神を追い払う儀式が行われる。
 花の定座の前で飢饉とは、芭蕉も難しい注文をしたものだ。
 三十五句目。

   麦もかじけて春本ノママ
 鷹すへて近ふめさるる花造り   蘭夕

 「鷹すへて」というのは鷹を手の上に座らせること。「めさるる」と言う敬語が使われているところから、殿様が鷹狩りに来られたということか。
 おそらく鷹狩りにかこつけて領内の飢饉の状況を視察に来たのだろう。 ただ、村人の方は見苦しいものを見せたくないと見栄を張って、造花を作っていかにも春が来ているように見せかける。
 挙句。

   鷹すへて近ふめさるる花造り
 小蝶みだるるさかづきの陰    執筆

 執筆は主筆に同じ。
 打越の飢饉を離れ、「花造り」を花見の席をこしらえるという意味にして、最後は殿様の来席のもとに胡蝶の乱れ飛ぶ中、目出度く盃を交わして終わることになる。

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