2018年9月18日火曜日

 『俳諧問答』の続き。

 「平生の句案ハ、只旧染と、新風と、秀句あらん事をおもふ。不易と流行を用捨するにいとまあらず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.52)

 まあ、実際の所不易の句と流行の句を詠み分けるほど器用ではないというところだろう。
 古歌・漢詩などの古典を念頭に置きながら句を作っても、結局ちょっと変えただけになって、本説による付け句ならそれでもいいが、発句にはふさわしくない。
 大体は句がほぼ定まる頃に、かつて談林時代に證歌を取ったように、そういえば古典にこういうフレーズがあったと気付いて、後付に不易の情を持たせることはできるだろう。
 芭蕉の「閑さや」の句も、最後の段階ではそうだったのではないかと思う。芭蕉だから隠しておくけど、其角なら「蝉噪林逾静」なんて前書きをわざわざ付けて、屋上屋を重ねたかもしれない。
 去来の場合も、「応々と」の句に「いかにひさしきものとかはしる」、「時雨るるや」の句に「紅葉吹きおろす山おろしの風」を引き合いに出したのは、談林時代の證歌を取るという発想に近かったのかもしれない。言葉は引き継いだが情を引き継いでいない。

 「又不易・流行を分て案ずる事、故ありていふなるべしトいふハ、或(あるひは)奉納・賀・追悼・賢人・義士の類の賛のときハ、必不易を以て句案ずるを要とす。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.52~53)

 去来さんはアドリブが利かない人だったようで、元禄三年の秋、正秀亭での失敗のことが『去来抄』「先師評」に記されている。
 芭蕉と去来が正秀亭を訪れるのだが、芭蕉は自分は何度も来ているが、去来君、君は初めてなので発句をと言われたが、頭が真っ白になって何も出てこない。

 「珍客なれバほ句ハ我なるべしと、兼而覚悟すべき事也。其上ほ句と乞ハバ、秀拙を撰ばず早ク出すべき事也。一夜のほど幾ばくかある。汝がほ句に時をうつさバ、今宵の会むなしからん。無風雅の至也。余り無興に侍る故、我ほ句をいたせり。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,27)

と叱られて、結局芭蕉が発句を詠むことになる。残念ながらこのときの発句は記されてない。
 正秀の脇は、「二ツにわれし雲の秋風」で、これに去来は、

   二ツにわれし雲の秋風
 竹格子陰もまばらに月澄て   去来

と第三を付ける。ここで芭蕉が、

 「二ツにわるると、はげしき空の気色成を、かくのびやか成第三付ル事、前句の心をしらず、未練の事なり」

とふたたび三十棒。これが去来の「膳所の恥」だ。
 アドリブの苦手な去来さんだから、奉納・賀・追悼・賢人・義士の類の賛といった予期せぬ場面で急に発句を求められた時、古句の雛形を頼ったのだろうか。
 ただ、この種の句は実例に乏しくて、実際の所はよくわからない。
 『続猿蓑』に、

   洛東の真如堂にして、善光寺如来開帳の時
 涼しくも野山にみつる念仏哉   去来

という句があるが、『去来抄』「先師評」には、初案の上五は「ひいやりと」だったという。それを、

 「先師曰く、かゝる句は全体おとなしく仕立るもの也。又五文字しかるべからずとて、風薫ルと改め給ふ。後猿蓑の撰の時、ふたたび今の冠に直して入句ましましけり。(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,14)

と先師に直されて、「涼しくも」に落ち着いたという。
 普通の作り方なら「野山にみつる念仏哉」が先にできて季語を後付けで放り込むところで、芭蕉もそう考えて「風薫る」としたのだろう。
 だが、去来はおそらく「ひいやりと」から作り始めたのではなかったか。だから「ひいやりと」にこだわって「涼しくも」にしたのではないか。
 ただ、「ひいやりと」の言葉に不易を意識した様子はない。

 手をはなつ中(うち)におちけり朧月 去来

は弟の魯町との離別の句だが、「朧月」までは泪で月が霞むみたいな、やや月並な風を念頭に置いたのかも知れないが、「手をはなつ中におちけり」は一瞬何かと思わせて、「ああ、月が落ちるまで手が離せなかったのか」と後からわかるような考え落ちになってしまっている。
 『去来抄』「先師評」では、芭蕉は、

 「此句悪きといふにはあらず。巧者にてただ謂ひまぎらされたる也。」 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,21)

と評している。悲しみの情がストレートに伝わらず、ただ何か上手いことを言ったという印象の方が立ってしまう。

 「又着題・風吟、或ハ他門の人に対して、当流をほのめかし、或ハ新風にをしうつらんとけいこのごとき、皆流行の句を以て専に案ず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.53)

 まあ着題は大喜利のようなものだから、新味を競うのはわかる。
 他門に当流をほのめかしというのは、季吟門の浪化を引き抜く際に、

 鶯に朝日さす也竹閣子      浪化

を発句とする両吟で、

   ひろい處を丸口にかる
 旅人に銭をかはるる田舎道    去来

といった経済ネタや、

   小屋敷並ぶ城の裏町
 謂分のちょっちょっと起る衆道事 去来

といった衆道ネタをやってみせたことがそれなのか。

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