今日は旧暦の八月七日で、十五夜まであと一週間となった。
おもえば、近代で唯一旧暦の行事が残ったとすれば、この十五夜であろう。新暦八月十五日でも、月遅れの九月十五日でも満月にはならない。こればっかしは旧暦八月十五日でなくてはならない。
今日の天文学では旧暦の八月十六日が満月になるが、それでは十六夜であって十五夜にはならない。
それでは『俳諧問答』の続き。
「来書曰、然ども、老の来るにしたがひ、さび・しほりたる句、おのづから求ずして出べし。
十一、去来曰、阿兄の言感涙すべし。然ども求ずして至ルものハ生得の人也。阿兄の心ロ風騒ありて、しかも道をはげむ事切也。猶さる事あらん。
其次ハおもはざればいたらず。其次ハおもへどもいたらず。
蕉門の諸生千万人、老を以て論ずる時ハ、先師にこえたるものも多し。いまださび・しほりを得たるもの壹人をきかず。おほくは此おもハざる人也。
阿兄、世を以て考へ給へ。生得の人此を願バ、猶名人にいたるべし。聖ハ願バ天にいたるべしと、古人の格言ならずや。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.49~50)
「感涙すべし」までは社交儀礼の続きで、「然ども」からが本題になる。
去来はさび・いほりに関して、『去来抄』「修行教」で、
「惣じて句の寂ビ・位・細み・しほりの事は、言語筆頭に応しがたし。只先師の評有句を上げて語り侍るのみ。他はおしてしらるべし。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,78~79)
と述べているように、結局は自分では判断できるものではなく、先師がそういうならそうだと言う。
去来は自分では結局理解できなかったさび・しほりを、凡人には理解できない高度なものとして、かなり高いハードルを設定している。
そのため、「さび・しほりたる句、おのづから求ずして出べし」というのは生得のひとであり、生得の人に次ぐ人なら求めれば得られるが求めなくては得られないとし、凡人は求めても得られないとする。
蕉門の門人たくさんいる中で、老境の句は先師を越える者もあるが、さび・しほりに関しては「得たるもの壹人をきかず」という。
その前に先師に関しては「さび・しほり有ラざる句ハまれ也」と言っているから、生得の人は芭蕉一人で別格だということになる。
つまりさび・しほりは老境になれば自然に具わるような簡単なものではない。もし許六がそうだというなら、そりゃ感涙物だ、という皮肉になる。
これは洋の東西を問わず、偉大なる先人の言葉を議論する時、「あんたは天才の言葉を何かわかったように議論しているが、所詮我々凡人に天才の言葉など分かるわけ無いし、分かったと思うのは思い上がりで、天才の言葉は議論すべきものではなくただ従うべきものだ」という種のもので、有りがちなパターンだ。
要するに、自分がわからないのをごまかすのに、わかるわけないんだからお前だけわかったようなこと言うなと言って、自分と同次元に引きずりおろすやり方だ。こうして先人の有り難い言葉も、敬遠すべき言葉に変えて、結局は先人の教えを骨抜きにしてしまうのである。
「来書曰、詞をかざり、さび・しほりを作たらんハ、真の俳諧にハ有まじ。
十二、去来曰、阿兄の言的中せり。詞をかざりて此を得バ、誰か此をかたしとせん。強て詞を以て此をなさば、路通がほ句のごとくならん。詞をかざり作ると、心を用ひ願と、又同日の論にあらず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.50)
さび・しほりが単なる技法上の問題なら、さび・しほりは誰でもできる。さび・しほりが説明できないのは、それが技術ではなく精神だからだとなれば、完全に精神論だ。
去来はここで路通の発句を槍玉に挙げるが、路通の句は先師も評価しているから、『去来抄』「修行教」と矛盾する。
鳥共も寝入てゐるか余呉の海 路通
の句は「ほそみ」だから「さびしほり」ではないという言い逃れはできるかもしれないが。
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