2018年9月15日土曜日

 昨日の恋のところで上手く説明ができなかったのでちょっと補足。
 人が恋をするのは子孫を残すためではない。この「ため」という考え方はラマルキズムであってダーウィニズムではない。
 恋はおそらく偶発的に生じた行動にすぎず、それが結果的に恋をした者の方がしない者よりも多くの子孫を残したとしても、あくまで結果であって、それが目的だったわけではない。これがダーウィニズムの考え方だ。
 だから、LGBTやQIAやPZNのように様々な恋が存在したとしても、それは何ら自然の摂理に反するものではない。自然はただランダムに多様な恋のあり方を生み出すだけで、結果的にはその中の子孫を残した遺伝子が残るのだが、異性愛でも子孫を残さなかった人、残せなかった人はいるし、そうでなくても子孫を残すこともある。
 多様性は自然の摂理であり、淘汰(子孫を残さなかったこと)も自然の摂理だ。そこに何一つ目的はない。
 野に咲く花が何の目的もなく美しいように、自然には本来目的はない。ある種の花の形が生殖の効率を高めたとしても、それはランダムに起きた突然変異の結果であり、何らかの目的があってその形になったのではない。つまり花は生殖のためにあるのではない。ただ、たまたま生殖に有利に働いたからそうなっただけで、何一つ目的があったわけではない。
 人間の恋もまた、子孫を残すためにあるのではない。
 恋する者はただ己の衝動に従い、最善を尽くすのみ。
 そうこうしているうちに、意図せざる子孫ができてしまうのもまた世の常だ。

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