新潮45は読んでないが、性的多様性の議論と性犯罪の議論を一緒くたにすべきではない。
たとえば痴漢や強姦や公然猥褻や、あるいは性的動機による窃盗や暴力や殺害は異性愛だろうが同性愛だろうが関係ないし、LGBTQIAだろうがPZNだろうが悪いことは悪い。
昔のヨーロッパでは同性愛自体を犯罪としていたというが、これも愚かなことで、性的嗜好自体には何の罪もない。それが暴力的な形で社会の安全を脅かした時に罪となる。
性的嗜好の多様性がなぜ生じるかについては、結局今の科学ではまだ十分な説明は出来ない以上、それは陰陽不測であり、神であり天だ。
性的嗜好の多様性が人間一人一人の個性として受け入れられるべきなのは言うまでもない。趣味は個人の自由だ。
これに対し、性犯罪はあくまで社会の安全に関わるもので、いかなる性的嗜好を持とうが平等に適用されなくてはならない。
この時一番問題になるのはP(ペド)だろう。まあ、Pには気の毒だが、社会の安全が優先されるのはやむをえない。合法的な手段で発散してくれることを願う。
それでは『俳諧問答』の続き。
「しかれども、湖東の正秀ハ、先師遷化の日、予に語て曰、此より後流行たのしみなし。行末は不易の句をたのしまんといへり。此等ハ皆故ありていふ。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.53)
正秀も芭蕉の臨終に立ち会った一人だった。十月八日の住吉四所神社詣ででは、
初雪にやがて手引ん佐太の宮 正秀
の句を詠み、十一日の夜には、
おもひ寄夜伽もしたし冬ごもリ 正秀
の句を詠む。このとき丈草の「薬の下の寒さ哉」の句が生まれる。去来は、
病中のあまりすするや冬ごもり 去来
の句を詠んでいる。「冬ごもり」は去来とかぶっている。
そして翌十二日の申の刻、芭蕉は亡くなった。
その夜には亡骸を長櫃に入れて、船に乗せ運び去る。その時の会話だろうか。「此より後流行たのしみなし。行末は不易の句をたのしまんといへり」というのは。
『去来抄』「修行教」にも同様の記述がある。
「先師遷化の時、正秀曰、是より定て変風あらん。その風好みなし。只ただ不易の句をたのしまん。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,65)
おそらくこの時正秀が言った「不易」というのは猿蓑調のことであろう。蕉風の完成形としてこれを続けていくだけで、芭蕉亡き後、誰かが新風を起したとしても、これを越えられないだろうと確信していたのだろう。
同じ『去来抄』「修行教」に、
「先師遷化のとし、深川を出給ふ時、野坡問曰、俳諧やはり今の如く作し侍らんや。
先師曰、しばらく今の風なるべし。五七年も過侍らば、又一変あらんと也。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,79)
とある。
確かに八年後だが惟然が『二葉集』の新風を起す。ただ、湖南の門人と播磨の人たちが応じただけで、それほど大きなムーブメントにはならなかった。去来もこのときはそっぽ向いてた。『去来抄』「同門評」に、
「梅の花あかいハあかいハあかいハな 惟然
去来曰、惟然坊が今の風大かた是類也。是等ハ句とハ見えず。先師遷化の年の夏、惟然坊が俳諧導びき給ふに、其秀でたる口質の処よりすすめて、磯際にざぶりざぶりと浪うちて、或あるいは杉の木にすうすうと風の吹わたりなどといふを賞し給ふ。又俳諧ハ季先を以て無分別に作すべしとの給ひ、又この後いよいよ風体かろからんなど、の給ひける事を聞まどひ、我が得手にひきかけ、自らの集の歌仙に侍る、妻呼雉子、あくるがごとくの雪の句などに評し給ひける句ノ勢、句の姿などといふ事の物語しどもハ、皆忘却セると見えたり。」 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,46~47)
芭蕉は元禄七年江戸での、
むめがかにのつと日の出る山路かな 芭蕉
をはじめとして、擬音を入れるのを新風として広めようとしていたようだ。
その夏、京に上ったとき去来にも惟然にもそうした指導をしていたのだろう。
芭蕉、去来、浪化の三人で巻いた「鶯に」の巻の後半でも、
参宮といへば盗もゆるしけり
にっと朝日に迎ふよこ雲 芭蕉
という句を付けている。ただ、その次の句で去来が、
にっと朝日に迎ふよこ雲
すっぺりと花見の客をしまいけり
とやって、危うく三十棒だったことも『去来抄』「先師評」に記されている。最終的には、
にっと朝日に迎ふよこ雲
蒼みたる松より花の咲こぼれ 去来
で落ち着いた。擬音の面白さも時と場合を考えろ、ということだった。
「俳諧ハ季先を以て無分別に作すべし」もこの頃しきりに芭蕉が教えていたことだったのだろう。去来はこれをずっと律儀に守っている。季題を本意本情に繋いでおいて、あとは新味あるネタで展開するというのが、去来の基本パターンだった。
結局新風は広がらず、俳諧は保存の時代に入って行き、明治入ると近代俳句が登場した時には旧派と呼ばれるようになっていった。そして、明治を最後に旧派も幕を閉じていった。
その近代俳句も、最近ではすっかり保存の時代に入っている。近代俳句も様々な実験を繰り返して発展してきたが、その幕もあといくばくか。
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