昨日の朝早く、神奈川は雨だったが足柄を越えると雲も切れ、富士山が見えた。山頂付近の北側が薄っすらと白くなっていて、もしや初冠雪と思っていたが、今日のニュースで富士山の初冠雪が発表されていた。今年は早い。
それでは「一泊り」の巻の続き。
二表、十九句目。
鳥の巣もりと住あらす庵
きさらぎや落行甲おもたくて 蘭夕
二月は一ノ谷の戦いや屋島の戦いのあった月で、ここで落ち行く武者は平家の落人だろうか。重たい兜も今は脱ぎ捨て、山奥でひっそりと暮らす。
二十句目。
きさらぎや落行甲おもたくて
あらしに光る宵の明星 曾良
京都には大将軍を祭った大将軍八神社がある。かつては大将軍堂と呼ばれていた。
この大将軍について、ウィキペディアにはこうある。
「大将軍(たいしょうぐん、だいしょうぐん)は陰陽道において方位の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)の一。魔王天王とも呼ばれる大鬼神。仏教での本地は他化自在天。
古代中国では明けの明星を啓明、宵の明星を長庚または太白(たいはく)と呼び、軍事を司る星神とされたが、それが日本の陰陽道に取り入れられ、太白神や金神(こんじん)・大将軍となった。いずれも金星に関連する星神で、金気(ごんき)は刃物に通じ、荒ぶる神として、特に暦や方位の面で恐れられた。」
神道家の曾良のことだから、落武者から軍神を連想し、金星を付けたのかもしれない。
「あらし」は合戦を象徴し、沈みゆく宵の明星に落ち武者を喩えたとも取れる。
二十一句目。
あらしに光る宵の明星
苫まくり舟に米つむかしましく 残夜
夕暮れで嵐が来るというので、急いで米を船に積み込む。出荷するためではなく、洪水で米が水をかぶらないようにということか。
二十二句目。
苫まくり舟に米つむかしましく
此ごろ室に身を売れたる 路通
「室」は室津のことで、古代からある港町。ウィキペディアによると、
「江戸時代になると、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸して陸路を進んだため、港の周辺は日本最大級の宿場となった。」
とのこと。
もちろん人だけでなく、米を積んだ廻船も盛んに出入りしていた。
室津は謡曲『室君』の舞台でもあり、室津の遊女は有名だった。
ただ、ここでは中世の自由に移動する遊女ではなく、江戸時代の身売りされた遊女で、宿場町の華やかさの裏での過酷な現実を思い知らされる。
こういう下層階級のリアルな世界を描くというのが路通の持ち味なのかもしれない。芭蕉もそういうところを評価していたのだろう。
『夫木和歌抄』に、
浅ましや室津のうきとききしかど
沈みぬる身の泊りなりけり
源俊頼
の歌もあり、古典の不易の情にもかなう。
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