今日は幸手の権現堂堤へ彼岸花を見に行った。去年行った巾着田に負けないくらい、たくさんの彼岸花が咲いていた。
幸手は2011年に「奥の細道」を歩いた時以来で、あの頃は「らき☆すた」の街だったが、今はすっかり普通の街に戻っていた。熊野権現社が何か荒れ果てた感じで、絵馬堂がなくなっていた。熊野権現あっての権現堤なのに。
権現堂堤には目立たないけど藤袴も咲いていた。藤袴というと、
何と世を捨も果ずや藤ばかま 路通
の句がある。
藤袴は昔は干して香料として用いられていたため、女性の匂いを連想させる。
藤袴ねざめの床にかをりけり
夢路ばかりと思ひつれども
登蓮法師(『夫木和歌抄』)
のように、世を捨てようと思ってもまだ俗世の夢から醒め切れぬことを藤袴の香りに託している。
明日は十五夜。天気は今ひとつのような予報だが。今日は雲間に月が見えた。
『俳諧問答』は八月二十四日から一ヶ月近く読んできたが、この辺で一休みしようと思う。
何か読んでて悲しくなってくる。芭蕉が去って三年後の元禄十年はまだ『続猿蓑』の勢いが継続していて、蕉門のいわば頂点の頃だったのかもしれないが、それは同時に衰退へ向う入口でもあった。
一つのジャンルが成長してゆく時は、誰もが次ぎの作品を楽しみにしていて、今度はどうなるのだろう、何をやらかしてくれるのだろうとわくわくした気分で待っていたに違いない。
ひとたび衰退が始まり、新しいものが出てこなくなると、人は別の新しいものを求め始める。
戦後急速に進化してきたロックや漫画アニメや漫才も、既に大分パターンが出尽くした感があり、ひょっとしたらもう衰退期が始まっているのかもしれない。若者の関心はネットの方に移りつつある。ここから何か新しいジャンルがまた急速に進化するのだろうか。
そういうわけでちょっと気分を変えて、また俳諧を読んでいこうと思う。
やはり問題になっている路通の俳諧というのを読んでみたい。
選んでみたのは元禄二年九月、『奥の細道』の旅を終えた後の伊勢長島での興行。路通が発句を務めている。
一泊り見かはる萩の枕かな 路通
萩の咲く野で野宿すると、昨日の夕暮れの萩と朝の萩の二つが楽しめる。特に朝は露がきらめいて幻想的な美しさとなる。
脇。
一泊り見かはる萩の枕かな
むしの侘音を薄縁の下 蘭夕
蘭夕はどういう人かはよくわからないが、ゲストが発句を詠みホストが脇を付ける慣習からすると、伊勢長島の人か。
「侘音(わびね)」は侘寝に掛けている。前句の「一泊り」から「旅寝」、「萩」に「虫の音」と四つ手に付ける。
「薄縁(うすべり)」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、
「藺草(いぐさ)で織った筵(むしろ)に布の縁をつけた敷物。」
とある。旅寝の情景を付けている。
第三。
むしの侘音を薄縁の下
帋子もむ夕阝ながらに月澄て 白之
この作者もよくわからない。
「帋子(かみこ)」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、
「紙衣(かみこ)は紙を糊で張り合わせ、その上に渋を引いたりするため、紙自体がこわばりやすい。これを柔らかくするには、張り合わせたあと、渋を引いてから天日で乾燥させ、そのあと手でよくもんで夜干しをする。翌日また干して、夕刻に取り込み、再度もむ。これを何回か繰り返して、こわばらないように仕上げるのである。」
とある。
『奥の細道』の「草加」のところに「只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ」とあるように、旅に用いられた夜着だが、普通に防寒服としても用いられたという。
「夕阝(ゆふべ)」は「夕べ」のこと。
前句を旅の情景から出発前の旅の準備で紙子を作る段階とし、時刻も朝から夕方に転じる。
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