2018年9月24日月曜日

 天気予報が外れて雨はまだ降っていない。雲の切れ間から一時オレンジ色の月が見えたが、今は雲に隠れている。
 昔だったらきっと雲の切れ間から月が見えたら、あたりがはっと明るくなってすぐわかったんだろうな。
 それでは「一泊り」の巻の続き。
 四句目。

   帋子もむ夕阝ながらに月澄て
 あらしにたはむ笹のこまかさ   残夜

 この作者もよくわからない。
 軽く景色を付けて流す。
 五句目。

   あらしにたはむ笹のこまかさ
 植木屋はうへ木に軒を隠すらん  芭蕉

 ようやく芭蕉さんの登場。
 笹のこまかさに、きちんと手入れされた庭の情景を見たか、笹や竹をはじめ、たくさんのよく手入れされた植木に囲まれて、肝心の植木屋の建物がどこにあるのか一瞬迷う。
 六句目。

   植木屋はうへ木に軒を隠すらん
 食のすすまぬ事は覚えず     曾良

 繁昌している植木屋なら、今日も飯が旨い。別に他人の不幸がということではなく、しっかり働いてしっかり稼いで、という意味で。
 初裏、七句目。

   食のすすまぬ事は覚えず
 肌ぬぎて人に見せたる夕間暮   蘭夕

 「肌ぬぎ」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「和服の袖から腕を抜き、上半身の肌をあらわすこと。片肌脱ぎと両もろ肌脱ぎがある。 [季] 夏。」

とある。近代では夏の季語だが、曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』にはなく、元禄の頃にいたってはよくわからない。
 ただ、夏でも食欲が落ちずに元気なのを、この通りとばかりに片肌脱いで見せる情景が浮かぶから、夏の句としてもいい。
 肌脱ぎすると腕が動かしやすくなるので、肉体労働などをする時も片肌もろ肌脱いだりする。そこから比喩として人助けをするときにも「一肌脱ぐ」という。

 八句目。

   肌ぬぎて人に見せたる夕間暮
 児(ちご)そそのかす時のおかしさ 路通

 八句目で待ってましたとばかりに恋を出すのは、蕉風確立期では芭蕉もしばしばやっていた。しかも稚児ネタで芭蕉さんも喜びそうだ。
 「稚児」はウィキペディアによれば、

 「○本来の意味の稚児で乳児、幼児のこと。「ちのみご」という言葉が縮んだものと考えられる。後に、6歳くらいまでの幼児(袴着・ひもとき前)に拡大される。袴着・ひもとき~元服・裳着の間の少年少女は「童」(わらは・わらべ)と呼ばれた。
 ○大規模寺院における稚児 → 下記 大規模寺院における稚児 参照
  ○転じて、男色の対象とされる若年の男性の意。
 ○祭りにおける稚児 → 下記 祭りにおける稚児 参照」

といくつかの意味があり、ここでは「男色の対象とされる若年の男性」を指すと思われる。当時の元服の前後の年齢を考えるなら、年齢的には子供ではなく立派な若者だったと思われる。
 今日の祭などで見られる稚児行列の稚児は大体は小学生以下の男女だが、それと混同してはいけない。寺院などでの男色の対象とされた稚児は幼児ではない。カトリック教会の性的虐待事件と同列に扱うべきものではない。
 百歩譲って昔の寺院で年長の僧が年少の稚児に性交を強要することがあったとしても、今日の稚児行列とは何の関係もない。(まあ、こんなことを言うのは呉智英一人で、日本の人権団体もこんなのを真に受けるほど馬鹿ではないと思うが、ただ日本の事情をよく知らない外国人が本気すると困る。)
 この路通の句でも、大人の僧が片肌脱いだかもろ肌脱いだかは知らないが、わざとらしく肉体を見せ付けて稚児を誘惑するのだが、当の稚児の方はその気がないのか、ギャグにしかならない。実際はこんなものだろう。
 九句目。

   児そそのかす時のおかしさ
 薫ものの煙リに染し破れ御簾   曾良

 これはホモネタではない。児(ちご)を本来の幼児の意味に取り成し、王朝時代の宮廷の恋の情景に転じている。
 薫物の煙の染み付いた御簾に破れ目があるので、小さい児をけしかけて誰が来ているのか覗いて来い、というもの。『源氏物語』の空蝉の弟君の俤か。
 十句目。

   薫ものの煙リに染し破れ御簾
 ほそき声してぬき菜呼入レ    木因

 ここで大垣の木因さんの登場。
 九月十五日の芭蕉の木因宛書簡に、

 「此度さまざま御馳走、誠以痛入辱奉存候。爰元へ御参詣被成候にやと心待に存候處、いかゞ被成候哉、御沙汰も無御座、御残多。拙者も寛々遷宮奉拝、大悦に存候。
 此状御届被成可被下候。方々かけまはり申候はゞ、又々美濃筋へ出可申候間、其節万々可得二御意一候。
 此地、江戸才丸・京信徳・拙者門人共十人計参詣、おびただしき連衆出合ながら、さはがしき折節に而、会もしまり不申、神楽拝に一日寄合、さのみ笑ひて散り散りに成申候。以上
 九月十五日             はせを」

とある。この元禄二年は伊勢遷宮の年で、芭蕉、曾良、路通は大垣の木因に引率されて新しくなった伊勢神宮を参拝するさい、途中立ち寄った伊勢長島でこの興行が行われたと思われる。『奥の細道』のエンディング、

 「旅の物うさも、いまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮お(を)がまんと、又舟にのりて、

  蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」

もこの時のことをいう。
 句の方は、前句の「破れ御簾」を荒れ果てた田舎の住まいとし、病気療養中なのかか細い声で、ぬき菜(間引き菜)を売る行商のおばちゃんを呼び入れる。

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