2018年10月1日月曜日

 「生きづらさ」って一体なんだろうと考えた時、結局それは「生存競争」なんだろうなと思う。
 昔も今もそうだし、洋の東西を問わず、貧しくても裕福でも生きづらさは必ずついて回る。

 世の中はとてもかくても同じこと
     宮もわら屋もはてしなければ
                蝉丸

 宮廷で暮らしていても藁屋でくらしていても、そこにあるのは過酷な生存競争。たとえ皇子に生まれようとも、皇位争いで命を落とすことすらあるし、だからといって田舎の藁屋が平和かというと、そこでもどろどろとした人間関係が絶えることがない。
 なら人間やめればいいかというと、

 世の中よ道こそなけれ思ひ入る
     山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
             皇太后宮大夫俊成

 鹿もまた妻を争って争いが絶えない。人間やってくのも大変だが鹿だってやはり大変だ。
 そもそも論を言うなら、有限な地球で無限の生命の繁栄は不可能なのだから、誰かが排除されなければならない。
 ただ、生存競争を考える時間違ってはいけないのは、人は生きるために争っているのではないし、子孫を残すために争っているのでもないということだ。
 この「ために」というのはラマルキズムであって、ダーウィニズムではない。人はたまたまご先祖様が子孫を残すことに役だった遺伝子を受け継いで生まれてくるだけだ。
 そこには様々な感情や欲望や衝動が含まれ、別に生き残ろうだとか子孫を残そうだとか思わなくても、自然とそういう行動を取ってしまうだけだ。
 だから別に傷つけるつもりはなくても、互いに傷つけあってしまう。それが「生きづらさ」だと思う。
 生存競争の基本は排除だ。有限な地球で無限の生命が繁栄できない以上、生命も有限になるように調整しなくてはいけない。そのために闇雲にライバルを排除しようという欲求が生じる。
 理由は何でもいい。自分より弱い奴は排除しやすいし、自分より強ければ、それはそれで自分が排除される危険があるから、やられるまえにやっておきたい。だから人間は弱いものいじめもすれば、強いものに強烈な嫉妬心を抱いたりもする。
 馬鹿だからっていじめられたりもすれば、頭が良すぎるからっていじめられることもある。マイノリティーはいじめられるが、マイノリティーの集団の中に少数のマジョリティーが紛れ込めばそいつもいじめられる。要するに理由は何でもいいのである。
 救いがあるのは、われわれは争うために生まれてきたんじゃないということだ。たまたま生まれてきて、いやおうなしに生存競争に巻き込まれているだけだ。
 だから別にガチに勝ちに行かなくても、そこそこの所で余裕もって生きることもできる。この生存競争から目覚めた意識、それが風雅の誠ではないかと思う。
 戦ってばかりでは疲れてしまう。そこそこ勝利を手にしたら、あとは笑おうよ。生存競争をなくすことはできなくても、それくらいならできる。
 「生きづらさ」は確かに政治では完全な解決できないかもしれない。実際、誰も傷つかない社会なんて無理だし、そんなことをしようとすれば、恋も友情も禁じられたディストピアになりかねない。
 ただあまりマジに生きるのをやめてそこそこ遊ぶようにすれば、それだけ生きづらさを和らげることはできる。それを支援するくらいなら政治でもできる。
 前に書いたことをちょっとまとめると‥。
 均質な人間に向けて均質な商品を作っているだけでは市場は成長しない。
 多様の人間に向けて多様な商品を作ってゆくことで市場は発展してゆく。
 それゆえLGBTはミクロでは行政サービスの非効率を生み出すことはあっても、マクロ的には生産性を高める。LGBTへの新たなサービスは市場の拡大に繋がるからだ。
 LGBTがそれぞれ独自のファッションやライフスタイルを生み出して行けば、彼等もそれだけ生きやすくなるし、異性愛者もそれに乗っかれば遊びの幅が増え、社会全体が楽しくなると思う。テレビだってオネエがいないテレビは退屈だ。
 障害者にしても、十分な職が与えられ経済力をつければ、新たな消費を生み出す。たとえばお洒落な高級車椅子や高級義足なんかがあってもいいのではないか。
 雇用を促進するだけでなく、政府はベンチャービジネス育成の一環として、LGBTや障害者の起業を支援すべきである。LGBTが自ら起業してLGBTのための商品を開発し、それが成功すれば、自ずとそこに新たな雇用も生まれる。障害者の場合も同じだ。
 そしてそれで社会全体が楽しくなるなら一石二鳥と言う以外にない。
 必要なのは排除ではない。一緒になって遊ぶことだ。
 ただ、民族の問題は文化の維持の問題が関わるので、LGBTや障害者と同列に論じることは難しい。
 文化の維持には一定の規模の集団が確保されなくてはならないので、ごちゃ混ぜにするよりはある程度の棲み分けを残す必要がある。
 民族的マイノリティーの問題は一つの世界に組み込むことではなく、むしろ独立を支援し、多様な世界を作ることで解決すべきだ。
 世界にたくさんの文化があったほうが見てても楽しいし、多様性は一つの文化が行き詰った時の保険にもなる。
 それぞれに独自の消費文化があることで市場規模の拡大にも繋がるし、また消費文化の違いが外資に対して一定の障壁となる事で独占を防ぐことができる。

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