今日は横浜オクトーバーフェストに行ってきた。
それでは「牛部屋に」の巻の続き。
十七句目。
瘤につられて浮世さり行
散時はならねばちらぬ花の色 史邦
花は散る時が来れば散るが、散る時でなければ雨が降ろうが風が強かろうが散らない。散るとしたらそれは寿命だ。
前句の「浮世を去る」を死ぬこととしたか。ならば「瘤」は腫瘍のことか。寿命がなかったとあきらめるしかない。
十八句目。
散時はならねばちらぬ花の色
畠をふまるる春ぞくるしき 丈草
前句の悲しげな雰囲気をがらりと変え、花を見に来た人が酔っ払って畠を踏んでゆくマナーの悪さを嘆く。
二表、十九句目。
畠をふまるる春ぞくるしき
人心常陸の国は寒かへり 去来
前句の「畠をふむ」を麦踏とする。寒の戻る中での麦踏は苦しい。「寒かへり」は「さえかへり」と読む。
二十句目。
人心常陸の国は寒かへり
産月までもかろきおもかげ 野童
常陸国の鹿島神宮は神功皇后が後の応神天皇を出産した際に帯を奉納したとされている。
二十一句目。
産月までもかろきおもかげ
うき事を辻井に語る隙もなし 正秀
本当はお産が心配なのだけど、井戸端会議ではついつい強がってしまう。
二十二句目。
うき事を辻井に語る隙もなし
粕買客のかへる衣々(きぬぎぬ) 芭蕉
元禄六年冬の「ゑびす講」の巻の十五句目に、
馬に出ぬ日は内で恋する
絈(かせ)買の七つさがりを音づれて 利牛
とある。『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)に、
「絈は『かせ』と訓ます俗字にして、糸未だ染めざるものなれば、糸に従ひ白に従へるなるべし。かせは本は糸を絡ふの具にして、両端撞木をなし、恰も工字の縦長なるが如き形したるものなり。紡錘もて抽きたる糸のたまりて円錐形になりたるを玉といふ。玉を其緒より『かせぎ』即ち略して『かせ』といふものに絡ひ、二十線を一トひびろといひ、五十ひびろを一トかせといふ。一トかせづつにしたるを絈糸といふ。ここに絈といへるは即ち其『かせ糸』なり。絈或は纑のかた通用す。絈糸を家々に就きて買集めて織屋の手に渡すものを絈買とは云ふなり。」(竹内千代子編『「炭俵」連句古註集』、一九九五、和泉書院より。)
とある。
前句の「うき事」を恋に取り成し、粕買客との不倫とする。
二十三句目。
粕買客のかへる衣々
硝子(びいどろ)に減リ際見ゆる薬酒 路通
ビイドロは当時珍しく、長崎でわずかに作られた物か、そうでなければ西洋か中国から持ち込まれた酒瓶くらいだった。醤油の輸出に大量のケンデル瓶が使われるのは、多分もう少し後のことであろう。路通は筑紫を旅しているが、どこかでビイドロを目にすることがあったのか。
それに対して江戸時代には様々な薬酒が造られていたようだ。粕買が明け方に返るときにこっそりと薬酒を飲んだのか、だがガラス瓶に入ってたため減っているのがばれてしまう。
二十四句目。
硝子に減リ際見ゆる薬酒
橘さけばむかし泣かるる 史邦
これは『伊勢物語』六十段の本説で、宇佐の使いとして豊前へいった男がかつての妻がそこの役人の妻となっていることを知り、その妻を呼び出して酌をさせ、その時肴となっていた橘を取り、
さつき待つ花たちばなの香をかげば
むかしの人の袖の香ぞする
と詠んだという。
この歌は「古今集」に詠み人知らずとして収録されている。
減っている酒に橘がこの物語を思い起こさせる。
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