「牛部屋に」の巻の続き。
四句目。
酒しぼる雫ながらに月暮て
扇四五本書なぐりけり 丈草
酒宴であろう。揮毫を求められた先生もすっかりへべれけになって、扇になんだか分からないようなものを書きなぐっている。
浦上玉堂が思い浮かぶが、それは一世紀後のこと。元禄の頃にもこういう人っていたんだろう。
五句目。
扇四五本書なぐりけり
呉竹に置なをしたる涼床 去来
呉竹は淡竹(はちく)ともいう。
前句の扇四五本書く人物を隠士の位として、呉竹越しの風がよく当たるように涼み床を置きなおすとする。
六句目。
呉竹に置なをしたる涼床
蓮の巻葉のとけかかる比 野童
野童は去来の弟子。
蓮の巻き葉は蓮の新芽で、まだ葉が広がる前の状態を言う。「とけかかる」はそれがやがて開くことをいう。
初裏、七句目。
蓮の巻葉のとけかかる比
笈摺もまだ新しくかけつれて 正秀
「笈摺」は「おいずり」とも「おいずる」とも読む。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「巡礼などが笈を負うとき、衣服の背が擦れるのを防ぐために着る単(ひとえ)の袖なし。おいずる。」
とある。
蓮からお寺、お遍路さんの連想だが、直接言わずに「笈摺」で匂わす。
八句目。
笈摺もまだ新しくかけつれて
遊行の輿をおがむ尊さ 芭蕉
遊行は遊行上人のこととも取れるが、特に誰と言うことでもなく単に諸国を行脚して回る高僧のことを言っているだけなのかもしれない。
いずれにせよ、まだ発心したばかりの笈摺もまだ新しいお遍路さんが、駆けつけては拝みに来る。
九句目。
遊行の輿をおがむ尊さ
休み日も瘧ぶるひの顔よはく 路通
「瘧(おこり)」はマラリアのこと。周期的に熱が出るが、熱が出てない日でも顔はやつれて弱々しい。
『源氏物語』では光源氏がこの病にかかり、
「きた山になん、なにがしでらといふ所に、かしこきおおなひびと侍(はべ)る。こぞの夏もよにおこりて、人人まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまた侍(はべ)りき。」
(北山のなんとか寺という所に霊力のある修行僧がいて、去年の夏も大流行して、多くの人が祈祷しても良くならなかったのがすぐに治ったという例がたくさんある。)
と聞いて、あの若紫に出会うことになる。
十句目。
休み日も瘧ぶるひの顔よはく
溝汲むかざの隣いぶせき 史邦
ただでさえマラリアで弱っている所に、隣からはどぶ掃除のいやな匂いの風が吹いてくる。響き付け。
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