バンクシーのことが話題になっているので、一応多少はググって調べてみた。
前にヒップホップのサンプリングは一種の取り成しだと思っていたが、バンクシーはそれを絵画に応用したのではないかと思った。
単に壁に描きたい絵を描くのではなく、壁自身にある模様や付属物を巧に取り成してそこに笑いを生み出すという点では、俳諧にも通じるものがある。
話題になったあの作品も、単なる絵画をあえて切り刻むことで、「シュレッダーで刻まれた絵画」という別の作品にしたのではないかと思う。この洒落がわかる人なら落札額以上の価値を見出すわけだ。
少女が放すハート風船
その額は実は破砕機気をつけろ
てな感じか。
額に入れて売り買いして投機の対象とすることが芸術を殺すという風刺なのだろう。
それでは「牛部屋に」の巻の続き。挙句まで。
二裏、三十一句目。
藪くぐられぬ忍路の月
匂ひ水したるくなりて初あらし 史邦
「匂ひ水」はここでは単に汚れて濁った臭い水のことだろう。「したるく」は湿っぽくということ。「初嵐」は初秋の頃に吹く強い風で、台風の影響によるものだろう。
台風は「野分」という言葉でも表されるが、普通に「嵐」という言葉で済まされるときもある。台風とそうでない嵐との区別は、組織的な気象観測がなされる前はよくわからなかったのだろう。
台風が近づき、川の水も濁ってあたり一体がじめじめしてくると、月が出たものの女のもとに忍んでは行かれない。
三十二句目。
匂ひ水したるくなりて初あらし
亦も鼬鼡のこねら逐出す 丈草
「鼬鼡」はイタチ、「こねら」は子鼠等。イタチはネズミの天敵なので、実りの季節に農作物を守ってくれる。
そういえばアニメの『ガンバの冒険』のラスボスも、ノロイという巨大なイタチだったか。
三十三句目。
亦も鼬鼡のこねら逐出す
手に持し物見うしなふいそがしさ 去来
「いたちごっこ」という言葉が思い浮かぶが、ウィキペディアには「江戸時代後期に流行った子供の遊び」とある。
子供の遊びから「いたちごっこ」という言葉が生まれたのか、それともイタチが何度もネズミを追い回すのを見て、子供の遊びよりも前に「いたちごっこ」という言葉があったのか、その辺は定かでない。
手に持っていたものをふっとどこかに置いて、そのまま忘れてしまい、後で探し回るのはよくあること。特に歳取るとそういうことが増えてくる。何度も同じ事を繰り返していると、それこそイタチが何度もネズミを追い回しているようだ。
三十四句目。
手に持し物見うしなふいそがしさ
油あげせぬ庵はやせたり 野童
油揚げはコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、
「豆腐を薄く切って油で揚げた食品。江戸時代初期に江戸の町でつくられるようになった。」
とある。
ただ、その豆腐にしても都市部だけで田舎の方では、「一泊り」の巻の
十七句目に、
賤が垣ねになやむおもかげ
豆腐ひく音さへきかぬ里の花 白之
とあるように、まだ普及していなかった。
油揚げを作るための油は明暦の頃には既に擣押木による菜種油の増産が始まっていたようで、庶民でも入手できた。
そうなると、油揚げを作れるかどうかは豆腐の入手の方にかかっていたのか。
油揚げは100グラムあたり386カロリーで、豆腐の55カロリーに較べるとかなりの高カロリーになる。それにたんぱく質もたっぷりだから、油揚げを食べている庵の住人は太っていて、ない庵の住人が痩せていたとしても不思議はない。まして忙しい庵ならなおさらだ。
三十五句目。
油あげせぬ庵はやせたり
鶯の花には寝じと高ぶりて 正秀
『源氏物語』「若菜上」に、
いかなれば花に木づたふ鴬の
桜をわきてねぐらとはせぬ
の歌がある。光源氏の桜以外のいろいろな花に浮気する高ぶった心を歌ったもので、それを踏まえつつ、僧もあれこれ美食にふけって油揚げを食べないでいると、カロリーが不足して痩せるとする。
挙句。
鶯の花には寝じと高ぶりて
柳は風の扶てぞふく 執筆
まあまあそんな高ぶるのはよしなさい。世の中柳に風が一番ですよと締めくくる。一種の咎めてにはだ。
吹く風に逆らわない生き方は老子の影響によるものだろう。今でも田村耕太郎の『頭に来てもアホとは戦うな!』という本がベストセラーになっているが、日本人には染み付いた性質だ。
ただ、本当に戦わないでいると世の中アホがのさばってしょうがないから、時には突っ張ってみることも必要だ。
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