今年も日本人のノーベル賞受賞者が出て、イグノーベル賞とダブル受賞になった。ノーベル賞が連歌ならイグノーベル賞はノーベル賞の俳諧というところか。
本庶さんのT細胞の表面にあるPD-1というたんぱく質の発見が癌免疫療法を実現したというのも凄いが、いろいろな種類のT細胞が擬人化されたキャラになって活躍するアニメ(「はたらく細胞」)が人気を集めるこの国は凄いのではないかと思う。第七話では癌細胞と戦ってたし、本庶さんの功績もアニメにならないかな。
研究予算は少なくても底辺の広さ、特にオタク層のレベルの高さがこの国の科学を支えているのだと思う。
オタクは現代の隠士ではないかと思う。会社や役所や大学では発揮できない才能が、日本にはまだまだ眠っている。日本が本当に危機に陥った時は、彼等が山を降りてきてきっと救ってくれるのだろう。
さて、ここで路通の俳諧をもう一つ読んでみたい。
「一泊り」の巻の二年後の元禄四年秋、一度は、
草枕まことの花見してもこよ 芭蕉
と路通を破門した芭蕉も、翌年には許されたのか京都や膳所の連衆とともに興行を行っている。
その中の一つ、
牛部屋に蚊の声よはし秋の風 芭蕉
の句を発句とする歌仙を読んでみようかと思う。単にこれが一番路通の出番が多いからだ。
順番は芭蕉→路通→史邦→丈草→去来→野童→正秀の固定で、路通は常に芭蕉の句に付けることになる。これも嫌われ者の路通への気遣いなのかもしれない。特にうるさそうな去来が来席しているし。多分座席も路通を自分の隣に置き、対角線に去来が座るようにしたのではないかと思う。
季節はまだ初秋で、匂いのぷんぷん籠るような牛小屋にもさわやかな秋風が吹いて、蚊の声も弱ってきていると、なにやら象徴的な意味があるのかないのか、という句だ。別に路通が蚊だとか去来が蚊だとかそういうことではなくて、いろいろ困難な問題も解決してこの牛小屋にも秋が来たという意味だと思う。
史邦編の『芭蕉庵小文庫』(元禄九年刊)には、この形で掲載されているが、土芳編の『蕉翁句集』(宝永六年刊)では、
牛部屋に蚊の声暗き残暑哉 芭蕉
の形に改められている。
そこで路通の脇。
牛部屋に蚊の声よはし秋の風
下樋の上に葡萄かさなる 路通
下樋(したひ)は牛小屋に水を引く溝だと思われる。葡萄は自生する山葡萄で、溝の上に垂れ下がり鈴生りになっている。
江戸中期になると甲州で葡萄の栽培が盛んになり、今日のようなぶどう棚が作られるようになる。
勝沼や馬子も葡萄を食ひながら
は芭蕉に仮託されて伝わっているが、「勝沼ふたみ会&jibun de wine project&勝沼文化研究所」のサイトによれば、江戸時代中期の俳人、松木珪琳の句だという。
第三。
下樋の上に葡萄かさなる
酒しぼる雫ながらに月暮て 史邦
古代には山葡萄で葡萄酒を作ったともいうが、この時代には作られてたかどうかはよくわからない。早稲の米を布袋で発酵させると、そこから雫が垂れてきて、いわゆる「あらばしり」が取れる。
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