2018年10月6日土曜日

 「牛部屋に」の巻の続き。
 十一句目。

   溝汲むかざの隣いぶせき
 なま乾(ひ)なる裏打紙をすかし見る 丈草

 「裏打ち」はウィキペディアには、

 「裏打ち(うらうち)とは、水彩画・水墨画・書など掛軸や額装において、裏側にさらに紙や布などを張り、水分と乾燥による起伏をなくしたり丈夫にすること。
 書を掛軸にする場合などで行われる工程のひとつ。本紙(書画が書かれた紙)より大きめの湿らせた和紙に本紙を重ね、霧吹きや刷毛でシワを取り除き、別の裏打ち用の和紙にのりを塗り裏返した本紙に重ねて貼り付け、最初の和紙を取り除く一連の作業を指す。」

とある。
 生乾きの紙は向こう側が透けて見えるので、隣の溝汲む風景も見えるということか。わかりにくい付けだ。
 十二句目。

   なま乾なる裏打紙をすかし見る
 いつも露もつ萩の下露      去来

 露が重なっているのが気になる。「下枝」「下陰」とするテキストもあるという。
 ただ、「萩の下露」は決まり文句で、

 秋はなほ夕まぐれこそただならね
     荻の上風萩の下露
            藤原義孝

の歌に由来する。別に一句に同じ字を二回使ってはいけないという規則はない。芭蕉にも、

    堤より田の青やぎていさぎよき
 加茂のやしろは能き社なり   芭蕉

と「やしろ」を二回使っている例がある。
 紙が生乾きなのを秋で露の季節だからという展開なのだろうか。これもわかりにくい。
 十三句目。

   いつも露もつ萩の下露
 秋立て又一しきり茄子汁    野童

 これは萩の下露の季節ということで、立秋と秋茄子を付ける。
 十四句目。

   秋立て又一しきり茄子汁
 薄縁叩く僧堂の月       正秀

 「薄縁」は「一泊り」の巻の脇にも登場した。

   一泊り見かはる萩の枕かな
 むしの侘音を薄縁の下     蘭夕

 コトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「藺草(いぐさ)で織った筵(むしろ)に布の縁をつけた敷物。」とある。
 前句の「茄子汁」を僧堂の精進料理とする。月が出たので薄縁の上で寝ている人たちを叩いて起こしたのか。
 十五句目。

   薄縁叩く僧堂の月
 分別の外を書かるる筆のわれ  芭蕉

 「分別」がないということは恋を連想させる。
 これよりあとの元禄七年の「牛流す」の巻に、

    朝の月起々たばこ五六ぷく
 分別なしに恋をしかかる    去来

の句がある。僧堂の僧が分別もなく恋文を書いたりするが、僧だけに相手は稚児さんか。
 「筆のわれ」は墨がかすれて線が一本でなくなることを言う。
 十六句目。

   分別の外を書かるる筆のわれ
 瘤につられて浮世さり行    路通

 前句のお寺の情景を離れ、息子と一緒に出家する母を登場させる。男の分別のない恋に愛想つかして、縁切り寺に駆け込んだか。この辺の人情は路通らしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿