2020年11月23日月曜日

  今日は「『俳諧問答』を読む」の「俳諧自讃之論」までを鈴呂屋書庫にアップした。よろしく。
 あと、それと「『舞都遲登理』を読む」もアップしました。
 それでは「俳諧問答」の続き。

 「一、発句ハとり合ものといひけるハ、たとへバ日月の光に水晶を以て影をうつす時ハ、天火・天水をうるごとし。
 発句セんとおもふ共、案じずしてハ出べからず。日月斗を案じたる共、天火・天水を得る事あるべからず。外より水晶を求めて、よくとりはやすゆへに、水火を得たるがごとし。水晶あり共、よくとりはやす事をしらずバ、発句に成就しがたし。
 木がくれて茶つミもきくやほととぎす
 是、時鳥に茶つミ、季と季のとり合といへ共、木がくれてトとりはやし給ふゆへに、名句になれり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.154~155)

 天火(てんか)は落雷による火、天水は雨水のこと。日月は陽と陰で、陰陽から五行が生成するとき、陽は天となって天から雷が落ちることで火を生じ、陰は地となって地から水が湧き出ることで水が生じる。
 発句を詠むというのは日月を水晶に映した時にそれがただの光ではなく、そこに火や水が生じ陰陽五行の備わった乾坤の姿を描き、この現実の現象界を生き生きと描き出さなくてはならない。日月の光は眼前の神羅万象を描き出すことになって初めて発句になる。
 ここでいう「水晶」は陰陽を五行に変換する装置といってもいいだろう。
 月を詠むといっても、ただ月があるというだけでは発句にはならない。『天正十年愛宕百韻』の十七句目、

   ただよふ雲はいづちなるらん
 つきは秋秋はもなかの夜はの月  明智光秀

では発句にはならない。「秋の夜半の月」に「漂う雲」という水晶があって、それを一句の内に込めれば一つの景色として出来上がる。もっとも、付け句は必ずしもそれをする必要はなく、二句合わせて一つの景になれば良しとする。
 月に梢でもいいし、月に雁でもいい。何かそういう取り合わせがあれば、月は一つの景色の中に溶け込むことになる。

 名月や池をめぐりて夜もすがら  芭蕉

の句は単純だけど、月に池という水晶を置くことで景として成立させている。もちろん単に月に池では景としては成立しても盛り上がりに欠ける。いわば、そこに心や情がこもらない。「夜もすがらめぐりて」と囃すことで、池の月の景はより際立つことになる。
 「水晶あり共、よくとりはやす事をしらずバ、発句に成就しがたし。」というのは、月に雲、月に池だけでは駄目で、そこにどうゆう状況でどういう心情でというのが伝わらなければ、まあとにかく退屈な句にしかならない。

 木隠れて茶摘みも聞くやほととぎす 芭蕉

の句は元禄七年の句で『別座敷』に収録されている。
 この場合もホトトギスだけでは景色にならない。ホトトギスに茶摘みを取り合わせることで一つの景色が出来上がる。ただこれだけでは退屈で、もう一つ何かが欲しい。この場合「木隠れて」がその囃しになる。正岡子規が「山」と呼んだものにも似ている。
 ホトトギスの声が聞こえてきて、旅する自分だけではなく、あそこで茶摘みをしている地元の人たちも木の陰に隠れているが、同じようにホトトギスの声を聞いただろうか、と茶を摘む人のことを気遣っちゃうあたりで、いわば「細み」が生じる。
 先の、

 梅が香や客の鼻には浅黄椀    許六

の句で言えば、梅が香が日月で、浅黄椀が水晶、そして「客の鼻には」が囃しになる。

 「一、又云、俳諧ハ題の噂とおぼえたるがよし。たとへバ花の発句せんとおもひしに、花と斗ハ十七文字にのべがたし。故に一句に花と云噂をいへる事也。
 花は風の吹てちると成共いはねバ、一句にならず。
 一度ハ面白けれ共、二度、風ニて花のちるとハおかしからず。されバ入相のかねに花のちるともいひ、風の吹ぬにちるなど、いろいろ噂をいひかへて、今の不易・流行の所へ案じ付たる也。是、噂成事明也。
 よき噂取出したるハ上句也。噂のわろきハ下也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.155~156)

 噂(うはさ)は多くの人ががやがや言うという意味。今日では風評やゴシップに限定されるが、元は世間でとかく言われていることくらいの意味だった。
 だから、「俳諧ハ題の噂」というのは、その題について世間一般の人が言っていること、あるいは抱いているイメージくらいに思えばいい。
 花と言えばここでは桜のことだが、「桜は風が吹いてすぐに散っちゃって儚いね」というのは桜の噂になる。桜だけでは発句にはならず、桜についてみんなが思ってることを言って、桜の意味を共有した時それは発句になる。
 ただ、当たり前なことを言っても面白くない。よく「最初に恋人を花にたとえた人は天才だ」などと言うが、最初は驚く事でも何度も繰り返されれば月並みな表現になる。それに飽き足らず常に新しい言い回しを求めることで、そこに不易流行が生じる。

 五月まつ花たちばなの香をかげば
     昔の人の袖の香ぞする
              よみ人しらず(古今集)

は不易だが、平安時代でもその後色々なお香の流行があり、中世近世近代と人々の生活も大きく変わり、みんながよくわかる噂の香についても、次々に新しいのがあらわられては流行遅れになってゆく。それでも今の新しい香りで置き換えて行けば、それは再び流行のものとなる。ドルチェ&ガッバーナの香水のように。
 近代俳句と違うのは、近代俳句は個の表現であり、世間の噂を嫌う。俳諧は常に新しい噂を広めるのを役目とする。近代俳句は個々の主義主張で分断を生むが、俳諧は世間を一つにする。

 「一、又云、噂と云ハ、予が句ニ、いつぞや洛の和及が弟子何某といへるもの来て、予と俳諧セん事をのぞむ。其時、
 都人の扇にかける網代かな
と云句せし也。都人のあいさつに、扇ハよき噂とおもひて、冬のころなれ共とり合侍る也。此句、翁にかたり侍りしに、よきあいさつの仕やる也とて、感じ給ふ也。此外いくらもあるべけれ共、さし當りておもひ出したる故に、しるし侍る也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.156)

 噂というのはいわば世間の共通認識のようなものだとしたら、それは地方によっても身分によっても多少なりとも違ってたりする。
 京都の露吹庵和及は元禄三年に『雀の森』、元禄四年に『誹諧ひこはゑ』を編纂している。性は三上とも高村とも言われている。まあ、この頃の俗姓は途中で変わることも珍しくない。コトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」に、

 「1649-1692 江戸時代前期の俳人。
  慶安2年生まれ。京都の人。姓は一説に高村。隼士常辰(はやし-じょうしん)の門人。元禄(げんろく)5年1月18日死去。44歳。号は露吹庵。編著に「雀の森」「誹諧ひこはゑ」など。」

とある。隼士常辰は野々口立圃(りゅうほ)の門人。貞門の系譜にある。
 元禄二年刊の俳諧作法書『当流増補番匠童』は『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(大内初夫、櫻井武次郎、雲英末雄校注、一九九四、岩波書店)に収録されている。
 句の方は、浪化編『続有磯海』に、

   京なる人に対して
 都人の扇にかける網代哉     許六

という形で収録されている。
 扇を使った挨拶というと、扇をたたんだまま自分の前に置いてお辞儀をすることをいうのか。これによって一時的に上座と下座を仕切るのだという。ただ、これだと「かける網代」の意味が分からない。
 当時の京の人の間では共通認識(噂)ではあっても、時代が変わると分からなくなることはある。

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