今日の朝は半月よりやや細い月が見えた。まだ長月。「十三夜」の巻の続き。
初裏。
七句目。
埃かき流す風呂の水遣り
きり麦をはや朝かげにうち立て 凉葉
蕎麦は蕎麦切り、それだと麦は麦切りになりそうだが「きり麦」になる。麦を水を加えてこねて、それを細く切ったもの。うどんより細く、素麺のように油を使ったりはしない。今は「ひやむぎ」として知られているが、かつては暖かい「熱麦(あつむぎ)」もあったという。温麺(うーめん)という名前で残っている地方もある。
「朝かげ」は「影」に「光」の意味がある所から、朝の光を言う。朝日を浴びながら切り麦を打ち、風呂の水でゴミを流す。
八句目。
きり麦をはや朝かげにうち立て
幸手を行ば栗橋の関 芭蕉
幸手は春日部の先にある日光街道の宿場で、埼玉は昔は麦の産地だったから、うどんやきり麦が名物だったのだろう。切り麦を食べて朝日の中、「うち立て」を「すぐに旅立って」の意味に取り成す。
幸手の先に栗橋があり、ここで利根川を渡ると茨城県古河市になる。この渡しの所に栗橋の関があった。
九句目。
幸手を行ば栗橋の関
松杉をはさみ揃ゆる寺の門 曾良
日光街道は日光に近づくと杉並木になるが、幸手の辺りは松並木だった。このあたりのお寺はその両方を備えているかのように、きちんと剪定された松と杉がある。
十句目。
松杉をはさみ揃ゆる寺の門
ひとり娘の冬のこしらへ 濁子
「はさみ揃ゆる」を裁縫の裁ち鋏としたか。寺の一人娘の冬場の内職とする。
十一句目。
ひとり娘の冬のこしらへ
梟の身をもかくさぬ恋をして 岱水
後に支考が著す『梟日記』という紀行文があるが、梟は蓑笠で膨らんで見える旅人の姿の喩えでもある。
「されば痩藤に月をかかげ、破笠に雲をつつむといふ、むかしのひとのあとをまねびたるにはあらで、風雅は風雅のさびしかるべき、この法師の旅姿なり。
月華の梟と申道心者」(支考「梟日記之序」より)
其角は自らの旅姿を梟ではなく木兎(みみずく)に喩え、
けうがる我が旅すがた
木兎の独わらひや秋の暮 其角
という句を詠んでいる。
梟は高い枝にとまり、あまり物陰に隠れたりしない。娘の世話にと言って通ってくる。
十二句目。
梟の身をもかくさぬ恋をして
なみだくらべん橡落る也 芭蕉
比喩ではなく本物の梟も恋をして泣いているのだろうか。泪ではなく橡の実が落ちてくる。
十三句目。
なみだくらべん橡落る也
うす月夜麻の衣の影ぼうし 史邦
秋の朧月は薄月という。「麻の衣」は僧衣であるとともに喪服をも意味する。「影法師」に掛けて僧形で喪に服する姿から、死別の泪の落ちるのと橡の実の落ちるのとを重ね合わせ、薄月も涙で霞む。
十四句目。
うす月夜麻の衣の影ぼうし
客まつ暮に薪割秋 杉風
前句の麻衣の影法師を喪服ではなく普通の隠遁僧として、客をもてなすために薪割りをしている。
十五句目。
客まつ暮に薪割秋
末広を釘にかけたる祢宜の家 濁子
「末広」は『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豊隆監修、中村俊定校注、一九六八、角川書店)の中村注に「中啓(ちゅうけい)」とある。中啓はウィキペディアに、
「中啓は親骨が要よりも外側に反ったかたちをしており、折りたたんだ時、銀杏の葉のように扇の上端がひろがる。「啓」とは「啓く」(ひらく : 開く)という意味で、折り畳んでいながら上端が「中ば(半ば)啓く」という状態から中啓と名付けられた。」
とあり、
「神社でも神職が、神事で中啓を使用する。帖紙に中啓を添えて懐中したり、神葬祭の遷霊儀式で打ち鳴らしたりする。また、白竹、鈍色、黒色、朱色などのタイプがあり、ぼんぼり、ぼんぼり扇とも呼ぶ[1]。また出雲大社では神職が笏の代用とする風習もある。」
という。
前句の薪を割る人を祢宜とする。
十六句目。
末広を釘にかけたる祢宜の家
塵うちはらふ片器の食つみ 凉葉
「食(くい)つみ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 正月に年賀客に儀礼的に出す取りざかなで、蓬莱台や三方(さんぼう)に米を盛り、熨斗鮑(のしあわび)、勝栗(かちぐり)、昆布、野老(ところ)、干柿などをそえたもの。お手かけ。《季・新年》
※俳諧・炭俵(1694)上「喰つみや木曾のにほひの檜物〈岱水〉」
とある。
「片器(へぎ)」は片木で、薄く削った木で作ったお盆をいう。
扇を釘に掛けるような祢宜ということでの位付けであろう。
十七句目。
塵うちはらふ片器の食つみ
先ヅ汁と筆をはじむる初花に 芭蕉
正月で花の定座なので「初花」という言葉を用いるが、ここでは単に正月のことであろう。「花の春」と同様に見ればいいのではないかと思う。
正月の朝はまずお雑煮だが、それと前句を文人と見て、お雑煮と筆初めで始まるとする。
十八句目。
先ヅ汁と筆をはじむる初花に
鶯啼て旅になすそら 史邦
旅で迎える正月とする。
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