2020年11月6日金曜日

 社会契約(social contract)だと内容を法制度として明文化するために多くの人に一律に広めることができるが、社会の変化に対し、いくら法改正をするとしてもなかなか容易でなく、社会情勢が大きく変わっても古い法律がいつまでも残存することになる。
 その根底にある思想についても、一度ある程度体系的な思想が出来上がってしまうと、時代が変わってもなかなか修正が利かない。
 戦後七十年以上にわたる急激な変化に対し、硬直した思想と法制度への不満が、今あたかも民主主義が時代遅れであるかのようなムードを生み出していて、中国やロシアはそこに付け込もうとしている。
 社会の根底は不断の個々の取引(deal)の繰り返しで、常に流動する。本来それを補完し、公正にするためのものだった社会契約(social contract)が独り歩きしてしまわないように、必要な調整をしなくてはならないし、ちょうどその時期に来ていた。
 外交に、とくに社会契約を共有しない中国、北朝鮮、イランなどに取引(deal)を持ち込む試みは面白かったけど、あれはトランプだからできたことで、継承は難しいだろう。取引(deal)は基本的に個と個のものだから、理屈ではない。終わってしまうのは残念だ。また硬直した思想の退屈な世界に逆戻りしそうだ。
 それでは「青くても」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   焙炉の炭をくだす川舟
 祝ひ日の冴かへりたる小豆粥   岱水

 小豆粥はウィキペディアに、

 「日本においては、小正月の1月15日に邪気を払い一年の健康を願って小豆粥を食べる風習がある。この15日は望の日なので、望粥(もちがゆ)とも呼ぶ。また、雪深い東北地方や北陸地方では、1月7日の七草粥のかわりとして小豆粥を食べる地域もある。
 小豆が持つ赤色と稲作民族における呪術が結び付けられて、古くから祭祀の場において小豆が用いられてきた。日本の南北朝時代に書かれた『拾芥抄』には中国の伝説として、蚕の精が正月の半ばに糜(粥)を作って自分を祀れば100倍の蚕が得られるという託宣を残したことに由来するという話が載せられている。」

とある。「冴える」は冬だが「冴かへる」は冬の寒さが春になっても再び戻ってくることを言う。
 小正月の頃に焙炉は季節が合わないが、焙炉の炭の炭焼きなら冬枯れの落葉樹を用いるため、冬から春になる。小豆粥を炊くのにも使える。
 八句目。

   祝ひ日の冴かへりたる小豆粥
 ふすま掴むで洗ふ油手      嵐蘭

 小麦ふすまは今は健康食品だが、昔は手を洗うのに用いてたようだ。『連歌俳諧集』や『校本芭蕉全集 第五巻』の注にも祝いの日の髪結いの油で汚れた手を洗うとしている。
 九句目。

   ふすま掴むで洗ふ油手
 掛ヶ乞に恋のこころを持たせばや 芭蕉

 この句は『去来抄』で位付けの例として挙げられていて、「前句、町屋の腰元などいふべきか。是を以て他をおさるべし。」とある。
 掛け乞いは年末の取り立てのことだが、「乞い」を「恋」にして「掛け恋」にしたら、借金取りも優しくなるのではないか。
 というわけで、髪を整えて手を洗って、ちょっとばかり色目を使えば、少しはお手柔らかに見逃してくれるのではないかと、町屋の腰元も思うところだろう。
 十句目。

   掛ヶ乞に恋のこころを持たせばや
 翠簾にみぞるる下賀茂の社家   洒堂

 翠簾(みす)は「すいれん」と読めばコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」の

 「〘名〙 みどり色のすだれ。立派に飾られたすだれ。あおすだれ。《季・夏》
  ※菅家文草(900頃)五・冬夜呈同宿諸侍中「幸得二高躋一臥二九霞一、通宵守禦翠簾斜」
  ※太平記(14C後)一三「翠簾(スイレン)几帳を引落して残る処無く捜けり」

になる。神社の御神体のある神域と俗界を分ける結界の意味もある。代々下加茂神社に仕えてきた社家の人は、冬ともなるとみぞれに打たれながら翠簾の上げ下げを行っていたのだろう。
 御簾というと王朝時代では姫君を隠すもの。掛け乞いを掛け恋にするのなら、翠簾の開け閉めをする社家の人にも王朝の姫君の元に通うような恋の心を持たせてみたいと、そう応じたのではなかったか。
 十一句目。

   翠簾にみぞるる下賀茂の社家
 寒徹す山雀籠の中返り      嵐蘭

 「寒徹(かんとつ)す」はそのまま読むと寒さが染み通るというイメージだが、『連歌俳諧集』の注は「一年中通しての意」としている。夏の季語の山雀(やまがら)が冬を貫徹して籠で飼われているなら一年中ということか。
 『ヤマガラの芸:文化史と行動学の視点から』(小山幸子著、一九九九、法政大学出版局)によると、ヤマガラは鎌倉時代から芸を仕込まれていたという。

   山陵鳥(やまがら)
 山がらの廻すくるみのとにかくに
     もてあつかふは心なりけり
                 光俊朝臣(夫木抄)
 籠のうちも猶羨まし山がらの
     身の程かくすゆふがほのやど
                 寂蓮法師(夫木抄)

の歌があるが、江戸時代の宝永七年(一七一〇年)刊の『喚子鳥』(蘇生堂主人著)に、

 「くるまぎにつるべを仕かけ、一方に見ず(水)を入れ、一方にくるみを入る。常に水とゑをひかへするときは、かの水をくみあげ、又はくるみの方を引あげ、よきなぐさみなり」
 「籠の内、上の方にひやうたんに、ぜにほどのあなをあげ、つるべし。夜は其内にとどまるなり」

とあり、「廻すくるみ」が釣瓶上げの芸、「ゆふがほのやど」が瓢箪に穴をあけた巣で飼うことを意味していたと思われる。
 この『喚子鳥』には、輪抜けの芸のことも記され、

 「此鳥、羽づかひかろく、籠の内にて中帰りする。かるき鳥を小がへりの内、とまり木の上に、いとをよこにはり段々高くかへるにしたがひ、其いとを上に高くはりふさげ、のちには輪をかけ、五尺六尺のかごにても、よくかへり、わぬけするものなり。」

とある。山雀籠の中返りはこの芸のことと思われる。下加茂神社の門前でこうした芸が演じられてたのであろう。
 この輪抜け芸は昭和初期まであったのか昭和七年の「山雀」という唱歌に、

 くるくるまわる 目が回る
 とんぼう返り 宙返り

のフレーズがあるという。
 十二句目。

   寒徹す山雀籠の中返り
 正気散のむ風のかるさよ     岱水

 正気散は藿香正気散で古くからある漢方薬だという。風邪に効くというから、この句も正気散を飲んで風邪が軽くなったということなのだろう。
 輪抜け芸の山雀が軽く宙返りをするように、正気散飲んで元気ということか。
 十三句目。

   正気散のむ風のかるさよ
 目の張に先千石はしてやりて   洒堂

 島原の遊女高橋のことか。病気を押してなじみの客の前に出て千石の旗本でもコロッとなるが、実は正気散を飲んでいたという落ちにする。何か薬の宣伝みたいだ。正気散飲めば千石も夢じゃない!?
 十四句。

   目の張に先千石はしてやりて
 きゆる斗に鐙おさゆる      芭蕉

 芭蕉さんのことだからこれはお小姓のことにしたのだろう。千石取りの武将をも鐙(あぶみ)に泣いてすがってたらし込む。
 十五句目。

   きゆる斗に鐙おさゆる
 踏まよふ落花の雪の朝月夜    岱水

 踏むのももったいないような散った桜がびっしりと雪のように積もった朝月夜、花びらを巻き散らさないようにそろりそろりと歩く。
 十六句目。

   踏まよふ落花の雪の朝月夜
 那智の御山の春遅き空      嵐蘭

 前句の「踏まよふ」を那智の深い山の中で道に迷うこととする。景に転じた単なる遣り句のように見えるが、結構芸が細かい。
 十七句目。

   那智の御山の春遅き空
 弓はじめすぐり立たるむす子共  芭蕉

 弓はじめはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 年の始め(正月七日)や、弓場を新設した時などに、初めて弓射を試みる武家の儀式。弓場始(ゆばはじ)め。《季・新年》」

とある。
 前句の「春遅き」を暮春ではなく、春が来るのが遅い、まだ寒い山里という意味に取り成して、正月行事にする。

 十八句目。

   弓はじめすぐり立たるむす子共
 荷とりに馬子の海へ飛こむ    洒堂

 「荷とり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (「にどり」とも)
  ① 荷物を取ること。荷物を取り上げ、出発の用意をすること。
  ※永久三年十月廿六日内大臣忠通後度歌合(1115)「にどりせよ草の枕に霜おきて月出でば越えむ白川の関〈藤原宗国〉」
  ② 荷物の一部を盗み取ること。また、その盗人。
  ※雑俳・媒口(1703)「追々に荷取りの馬士がちらし髪」

 確かに普通、積荷を降ろすときには海に飛び込んだりしない。ちゃんと着岸して濡らさないように降ろすものだ。まだ海上にいる船から荷を降ろすのは泥棒と見ていい。
 ちなみに海上にいる船から他の船に荷物を移すのを「瀬取り」という。これも大抵小舟に乗って取りに行くので飛び込んだりはしない。
 前句の「すぐり立たる」を「立ちすぐり、居すぐり」のこととしたか。

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