2020年11月4日水曜日

 アメリカの大統領はいつ決まるのかなー。
 まあそれはともかく今日はいい天気だった。
 それでは「雁がねも」の巻の続き。

 二裏。
 三十一句目。

   砧も遠く鞍にいねぶり
 秋の田のからせぬ公事の長びきて 越人

 「秋の田の」と来れば、

 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
     わが衣手は露に濡れつつ
              天智天皇(後撰集)

であろう。「かりほ」と来るところを「からせぬ」と展開し、訴訟が長引いたからだとする。所領の境界争いなどで稲刈りに待ったがかかったのだろう。前句を裁判のために忙しくあちこち駆け回る人の姿とする。
 三十二句目。

   秋の田のからせぬ公事の長びきて
 さいさいながら文字問にくる   芭蕉

 訴訟は文書主義で行われるため、そのつど漢文で文章を書かなくてはならない。お坊さんか医者のところに文字を尋ねに何度も何度もやってくる。
 三十三句目。

   さいさいながら文字問にくる
 いかめしく瓦庇の木薬屋     越人

 木薬(きぐすり)は生薬(きぐすり)のこと。鬱金だとか地黄だとか決明子だとか漢方薬の原料はあまりなじみのない漢語が使われている。買いに行こうにも名前は聞いたが字がわからなかったりする。
 三十四句目。

   いかめしく瓦庇の木薬屋
 馳走する子の痩てかひなき    芭蕉

 「馳走」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① かけ走ること。走りまわること。馬を駆って走らせること。奔走。
  ※中右記‐永長元年(1096)八月六日「一寝之間車馬馳走道路」 〔史記‐項羽紀〕
  ② (世話するためにかけまわる意から) 世話をすること。面倒をみること。
  ※中右記‐永久二年(1114)二月三日「神宮之辺寄レ宿有レ恐、又無二先例一、只留二小屋一可レ待二天明一也、次畳三枚馬草菓子等少々所馳送也」
  ※俳諧・曠野(1689)員外「いかめしく瓦庇の木薬屋〈越人〉 馳走する子の痩てかひなき〈芭蕉〉」
  ③ (用意のためにかけまわる意から) 心をこめたもてなし。特に、食事のもてなしをすること。饗応すること。あるじもうけ。また、そのためのおいしい食物。ごちそう。
  ※ロドリゲス日本大文典(1604‐08)「ナニトガナ chisô(チソウ)イタサウト ゾンゼラル〔物語〕」
  ※記念碑(1955)〈堀田善衛〉「柚子風呂の馳走にあずかった」

とある。この場合は②の意味。
 店構えは立派な生薬屋だが、その子供はやせ細っている。まあ、漢方でも直せない病気はある。親としては八方手を尽くしているのだろうけど、そこは運命か。
 三十五句目。

   馳走する子の痩てかひなき
 花の比談義参もうらやまし    越人

 「談義参(だんぎまいり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 寺院に参詣して、法話を聴聞すること。
  ※俳諧・類船集(1676)盈「談儀参も遅参の人は縁にゐて聴聞するそ佗しき」

とある。
 寺院には桜の花も咲いているから、花見がてらの談義参りもいいものだ。ただ、子供がやせて病弱だとそれも果たせず、ただただうらやましい。
 挙句。

   花の比談義参もうらやまし
 田にしをくふて腥きくち     芭蕉

 仏法を聞いて殺生を戒めるように言われても、栄養の不足しがちな貧しい百姓さんにとってタニシは貴重なたんぱく源だ。まあ、そこは大目に見てほしいものだ。

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