さて、今日は旧暦九月二十四日。まだ長月の俳諧、もう一つ行けそうだ。
元禄六年九月十三日、深川芭蕉庵にて興行。
七月に病気の悪化から、
あさがほや昼は錠おろす門の垣 芭蕉
の句とともに閉門した芭蕉庵は、八月十六日にその閉門を解き、
いざよひはとりわけ闇のはじめ哉 芭蕉
を発句とした七吟歌仙興行を行う。
それから一か月、悲しい出来事もあった。八月二十七日、鎌倉から戻った嵐蘭が急死した。二十九日には其角の父東順が亡くなる。その悲しみのまだ癒えぬ九月十三日、ふたたび月見の会が行われ、一か月前と多少メンバーは入れ替わったが七吟歌仙興行が行われた。発句は十六夜の時脇を詠んだ濁子が務める。
発句。
十三夜あかつき闇のはじめかな 濁子
「あかつき闇」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「夜明け前、月がなく辺りが暗いこと。陰暦で、1日から14日ごろまで、月が上弦のころの現象。あかときやみ。
「うば玉の―の暗き夜に何を明けぬと鳥の鳴くらん」〈続後撰・雑中〉」
とある。
十三夜はあかつき闇の終わりだと思うのだが、八月十六日の、
いざよひはとり分闇のはじめ哉 芭蕉
の句に答えようとして釣られてしまったか。
十六夜は日が沈んで月が登るまでにわずかに闇が生じる。このあと月の出は遅くなり、闇の時間は長くなる。だが、十三夜だと暁闇は最後になり、闇の時刻は日没後に移る。
脇
十三夜あかつき闇のはじめかな
小袖の糊のこはき薄霧 曾良
朝起きた時だと小袖は糊が利いていてパリッとしている。着ているうちになれてくる。
十三夜の白んだ空に月が沈むころには朝霧がかかり、月が白んでゆくが、薄霧に霞んだ感じが糊にさらされたように見えるか。
第三。
小袖の糊のこはき薄霧
焼飯に瓜の粕漬口あけて 芭蕉
焼飯は今日のようなチャーハンではなく、焼きおにぎりかきりたんぽのようなものだとされている。元禄九年に桃隣が芭蕉の足跡を追って陸奥を旅した時に尿前の関に頼み込んで一泊させてもらい、そのときに、
燒飯に青山椒を力かな 桃隣
の句を詠んでいる。
瓜の粕漬は瓜を酒粕で漬けたもので奈良漬とも言われる。
瓜は夏のものだが、酒粕で漬けこむ期間を加味して秋扱いにしたか。
口あけては封を切るということか。
四句目。
焼飯に瓜の粕漬口あけて
荏胡麻のからに四十雀つく 史邦
荏胡麻は主に油を取るために栽培された。韓国では荏胡麻の葉のキムチもあるが、日本で葉を食べてたかどうかはよくわからない。
荏胡麻の殻は油を搾った後の搾りかすであろう。それを四十雀がついばむ。
前句の口あけてを四十雀の口をあけてと掛けて荏胡麻の殻に展開する。
五句目。
荏胡麻のからに四十雀つく
雨気から笠の干反リのしめり合 杉風
植物でできた物は乾くと反りやすい。一度濡れた後乾くとそれがひどくなる。
「雨気から」「荏胡麻のから」「四十雀」と「から」つながりになる。
六句目。
雨気から笠の干反リのしめり合
埃かき流す風呂の水遣り 岱水
「埃」はこの場合は「ごみ」と読むようだ。前句の湿りを風呂のせいにする。
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