2020年11月11日水曜日

  どうやら第三波の到来だな。
 今思えばコロナはやはり季節性のウィルスで、夏場の高温多湿と紫外線で弱体してたのではなかったか。三月終わりの第一波も意外に早くピークアウトできたのは、やはりそれと関係あったのだろう。ただ、コロナは風邪派の言ってたような自然消滅はせずに、コロナは日本の高温多湿の夏を生き延びた。コロナはサーズのようにはならなかった。サーズよりははるかに進化していた。
 夏の第二波も第一波の時よりかなり緩い自粛で乗り切れたが、今思えば夏だったからなのだろう。太陽の光に耐えられず、夜の街で広がっただけだった。
 今思えば、緊急事態宣言をあと二週間続けていれば、韓国や台湾のようになれてたかもしれないが、後の祭りだ。夏の第二波も根絶するチャンスはあったが、経済に負けた。
 コロナが季節性ウィルスだとしたら、これから来る第三波は今までとは違う、低温乾燥低紫外線でコロナにとってはホームゲーム、日本人が初めて経験する本気のコロナになる可能性がある。今まで通りの緩んだ自粛では通用しないと思った方がいい。
 まあ、俺の予言は二回とも外れているから、今回も外れてくれればいいが。
 それでは「十三夜」の巻の続き。

 二表。
 十九句目。

   鶯啼て旅になすそら
 寝覚めにも指を動かすひとよ切  岱水

 「ひとよ切」は一節切と書き、ウィキペディアに、

 「日本の伝統楽器。尺八の前身ともいわれる真竹製の縦笛で、節が一つだけあるのがその名前の由来である。」

とあり、

 「前野良沢や一休宗純、雪舟、北条幻庵なども一節切の奏者として知られている。織田信長に仕えた大森宗勲も名手である。しかし、もともと武家や上流階級の風雅な嗜みとしての趣向が強く、一般市民には普及していなかったことや、より音域が広く音量の大きい普化尺八が普及したこともあって、江戸時代の始まりより徐々に廃れていった。」

 鶯というと鶯笛を連想するが、鶯笛だと思ったのがじつはひとよ切だったという落ちか。
 一回だけの売春を「一夜切」というが、こちらは「いちやぎり」と読む。ひょっとしたら一夜切りに指を動かすでその連想を誘っていたのかもしれない。鶯を鳴かすも女をよがらせるという意味があり、鶯の谷渡りなんて言葉もある。
 二十句目。

   寝覚めにも指を動かすひとよ切
 中能ちなむ兄が膝元       芭蕉

 「中能」は「なかよく」と読む。
 「ちなむ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「ある縁に基づいて物事を行う。縁を結ぶ。親しく交わる。
  出典雪の尾花 俳諧
  「年ごろちなみ置ける旧友・門人の情け」
  [訳] 長年、親しく交わっていた旧友や門人の思いやり。」

とある。芭蕉さんのことだから、単なる旧来からの親しみではなく、前句の「指を動かす」に想像を膨らませ、そっち系に持って行ったのではないかと思う。一節切ではなく尺八だったら、今でもその意味がある。
 二十一句目。

   中能ちなむ兄が膝元
 具足着に雇はるる程場の有て   凉葉

 「具足着(ぐそくぎ)」は具足親のことか。具足親はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 武家で、男子が元服して甲冑の着ぞめをするとき、その具足を着せる役をつとめる人。特にその武勇にあやかるようにと、武功ある人を選んだ。
  ※俳諧・類船集(1676)以「烏帽子おや、具足おや、とりおやと云も家の子歟」

とある。
 兄のお膝元にいると、具足を着せる役割を世話してくれる。
 二十二句目。

   具足着に雇はるる程場の有て
 顔には似せぬ饅頭の好キ     史邦

 具足着に雇われるのは「武勇にあやかるようにと、武功ある人」だが、さぞかし大酒飲みの豪傑かと思ったら、意外に下戸のスイーツ男子だった。
 二十三句目。

   顔には似せぬ饅頭の好キ
 さかりなる隠居の牡丹見て帰ル  杉風

 桜の花見だと酒盛りというイメージがあるが、牡丹で酒盛りはあまり聞かない。今を盛りと咲き誇る御隠居さんの育てた牡丹を見に行っても、酒盛りはなく、饅頭を食べて帰る。
 二十四句目。

   さかりなる隠居の牡丹見て帰ル
 襷はづして出るをほな子     岱水

 「おほな」は嫗(おみな)のことで、「おほな子」は今で言う「 おばあちゃん子」のことか。さては、目当ては牡丹ではなく御隠居さん夫婦と一緒に暮らすこのおばあちゃん子だったか。
 二十五句目。

   襷はづして出るをほな子
 笠借らむ歌の返事に蓑もなし   史邦

 これは太田道灌の山吹の里伝説で、ほとんどそのまんまだ。

 元歌は、

   小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、
   蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取ら
   せて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、
   山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける
   返りに言ひつかはしける
 七重八重花は咲けども山吹の
     みのひとつだになきぞ悲しき
              兼明親王(後拾遺集)

で、weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「詞書(ことばがき)によると、雨の降る日に蓑を借りに来た人に作者が山吹の枝を差し出した。その意味を理解できなかった相手が、真意を尋ねたので詠んだ歌。山吹に実がならないことをふまえ、「みの」に「蓑」をかける。室町時代中期の武将太田道灌(おおたどうかん)が、農家で蓑を借りようとして少女に山吹の枝を差し出され、その意味がわからず、後に不明を恥じて歌道に励んだという逸話で有名。結句を「あやしき」とする伝本もある。その場合は、「おかしなことです」の意となる。」

とある。前句の「をほな子」をこの少女のこととする。
 二十六句目。

   笠借らむ歌の返事に蓑もなし
 足はむくみて河原行けり     曾良

 兼明親王のオリジナルの方として、京都の小倉山のあたりとする。この辺りは嵯峨野とも呼ばれ、桂川が流れている。
 笠は借りられず、仕方なくむくんだ足でびしょ濡れになりながら河原を行く。
 二十七句目。

   足はむくみて河原行けり
 よごれたる衣に輪袈裟打しほれ  芭蕉

 「輪袈裟」はウィキペディアに、

 「僧侶が首に掛ける袈裟の一種で、作務(さむ)や移動の時に用いるのが一般的である。輪袈裟(りんげさ)や畳袈裟(たたみげさ)と呼ばれることもある。」

とある。白衣の上に輪袈裟を羽織ると、お遍路さんの装束になる。
 長旅に汚れた衣によれよれの輪袈裟。さびを感じる。
 二十八句目。

   よごれたる衣に輪袈裟打しほれ
 伯母の泣るる酌人の貌      濁子

 「酌人(しゃくにん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 酌をする人。酌とり。多く、酒席で客の相手をする女性。酌婦。
  ※咄本・私可多咄(1671)三「酌人(シャクニン)のめもとに塩がこぼるれば手もとの酒はしづくなりけり」

とある。
 この場合の「伯母(おば)」は親族ではなくおばさんののことであろう。みすぼらしい姿に苦労したんだねと涙をこぼし酌をしてくれる。
 二十九句目。

   伯母の泣るる酌人の貌
 けふの月実植の梨の穂がけして  曾良

 実植(みうゑ)は実生(みしょう)のことで、古くは「みばえ」「さねおひ」とも呼ばれる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 株分け、さし木などによらないで、種子(たね)から直接草木が生えること。また、その草木。みしょう。
  ※俳諧・新撰犬筑波集(1532頃)春「ほうしがへりとひとやみるらん、この梅はさねおひにてはなきものを」
  〘名〙 =みばえ(実生)①〔和玉篇(15C後)〕
  ※随筆・戴恩記(1644頃)上「実生(ミヲヘ)を、御手づから〈略〉うへさせ給ひければ」
  〘名〙 つぎ木、さし木などの栄養繁殖によらないで、種子から発芽した植物。みうえ。みばえ。
  ※談義本・根無草(1763‐69)前「此人先菊之丞が実生(ミセウ)にはあらがねの、土の中より掘り出したる分根なるが」
  〘名〙
  ① 植えたりつぎ木したりしないで草木が自然に芽を出すこと。種子から芽が出て生長すること。また、その草木。みしょう。
  ※俳諧・鹿島紀行(1687)「神前、この松の実ばへせし代や神の秋〈芭蕉〉」
  ② 転じて、物事の起こるきざし。萌芽。発端。また、物事の自然に発生することにいう。
  ※浄瑠璃・双蝶蝶曲輪日記(1749)四「われも余っ程臍より下に、分別のみばえが出来たやら堅い事いふな」
  ③ 親から生まれたもの。子。
  ※浄瑠璃・仏御前扇車(1722)四「機転も利く音に聞く、鎮西八郎為朝が、落し胤のみばへの若者」

とある。
 「穂がけ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 稲の初穂を田の神・氏神などに供える行事。《季 秋》
  2 刈った稲を、稲架(はさ)にかけること。」

とある。この場合は梨農家で、稲穂の代わりに獲れた梨を供えたのだろう。桃栗三年梨八年というように、種から立派に育った梨に、伯母は酒を注ぎながら涙する。
 三十句目。

   けふの月実植の梨の穂がけして
 枝もぐ菊の括りちひさき     凉葉

 菊は江戸時代には観賞用に発達したが、元は菊酒や漢方薬などに用いられていた。この場合の菊は収穫されるもので、凡河内躬恒の「心あてに折らばや折らむ」の歌も、菊は折って用いるものだったからではなかったか。
 枝からもいだ菊も小さな束にして穂掛けに神に供えられた。

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