2020年11月22日日曜日

  今日も一日晴れていて夕暮れには半月も見える。こんな日に出かけたい気持ちもわかるが、新規感染者は増加し続けている。繰り返し言うが、とにかく今まで通りの生活では駄目だ。生活を変えなくては防げない。

 さて、「江戸桜」の巻も終わり、次は何をと思ったが、そういえば許六の『俳諧問答』はまだ途中だった。
 ニ〇一九年八月五日の「松の葉の落ちる」が夏の季語かどうかの所で終わっていた。
 今日は久しぶりにその続きを。

 「『内へ這入ればぞつとする』との御一句、田舎までかくれなし。かやうの事、集毎にいくらと云数もなし。見落し・差合などハ少もくるしからず。
 不玉の継尾集の俳諧、穂の上の巻ニも、春の雪二ツ出たり。
 又市菴、落柿舎乱吟も、「ほつとして来る」と云付句ニ、指出してと云「して」の字又あり。ケ様の事ハ、他門の人ニても、よき人ハ見ゆるして論ぜず。右追善の巻の差合ハ、つたなきといふもの也。大き成恥辱也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.150~151)

 「内へ這入れば」の句は十八句目の句で、これはまあ、この句が問題というのではなく、去来さんあんたこの場に居合わせたんなら何か言ったらどうか、という意味。
 元禄五年刊の不玉編『継尾集』巻三の正秀の「穂の上を」の巻の十九句目に「雪消へて」とあり、三十四句目にも「雪解(イテ)」とある。去来も同座している。これは『応安新式』に、「雪(三様之、此外春雪一、似物の雪、別段の事也)」とあり、春の雪は一句ということになっている。
 そのあとの落柿舎乱吟は元禄七年の序のある洒堂編『俳諧市の庵』の「柳小折」の巻だが、この巻は芭蕉の同座している。
 発句も、

 柳小折片荷は涼し初真瓜    芭蕉

で、その二十一句目の、

   新茶のかざのほつとして来る
 片口の溜をそっと指し出して  酒堂

のことだが、前句は芭蕉の句だ。これは違反ではないし、芭蕉も容認していたと思われる。

 「一、予俳諧を見る事、かたのごとく得もの也。あら野・さるミのをにらミ、師の魂を見届ケ侍るといへるも、是得物成ゆへ也。当時末々の集においてをや。句の善悪の事ハ、師の眼前ニおいて論ぜざれバ証拠なし。多ク数寄・不数寄ニ落る事、口おしき次第也。
 我が数寄侍らぬ句をほむる人ならでハ、眞ンの俳諧とハいひがたからん。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.151)

 ここで一応予防線ということだろう。ここまで書いたことは『阿羅野』『猿蓑』を精読して自得したものであって、芭蕉さんと直接議論して得たことではないので芭蕉さんの考えであることを証明するものではない。
 まあ、去来さんのように直接不易流行説を聞けなかったことは残念だということだろう。いくら血脈がとは言っても好き嫌いの問題と言われればそれまでになってしまう。
 だからあえて「数寄侍らぬ句をほむる人」が真の俳諧だと謙虚にこの章を締めくくる。

 さて、次はいよいよ「第四章 第三節 自得発明弁」に入る。

 「一、師ノ云、発句案ずる事、諸門弟題号の中より案じ出す、是なきもの也。余所より尋来れば、扨々沢山成事也といへり。
 予が云、我あら野・さるミのにて、此事見出したり。予が案じ様ハ、たとへバ台を箱に入、其箱の上ニ上て、箱をふまへ立あがつて、乾坤を尋るといへり。師の云、これ也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.152)

 これは題詠を否定しているのではなく、題という箱の中を探すか、題という箱の上に登って広くこの世界を眺めるかの違いになる。
 箱の中を探すというのは、たとえば蛙が題なら、蛙から連想される、山吹、井出の玉水、歌を詠む、蛙いくさ、そいうものが「蛙」という箱に入っている。そこから引っ張り出すのではなく、「蛙」という箱の上に立ってこの世界を眺めれば、いろいろな「蛙あるある」が見えてくるということだ。荒れ果てた池に行くと急に蛙の飛び込む音がしてビクッとすることってあるよね、ということになる。
 海士の屋という題なら、藻塩焼く煙や行平さんではなく、小エビの中に竈馬が混ざっていることってあるよね、となる。
 松茸という題なら、松茸は美味で酒の肴にもいいとかではなく、松茸をよく見ると知らぬ木の葉がへばりついてたりするよね、となる。
 これは古典的な連想の範囲を越えて、実際見たもの聞いたもの世俗の雑談としても面白い物を見つけ出すということが蕉門の面白さだったということだ。

 「されバ社(コソ)、
 寒菊の隣もありやいけ大根
 といふ句ハ出る也といへり。予が発明ニ云、題号の中より尋て、新敷事なきハしれたり。
 万一残りたるもの、たまたま一ッあり共、隣家の人同日ニ同じ題を案ずる時、同じ曲輪を案じ侍れバ、ひしと其残りたる物ニさがしあてべし。道筋同じ所なれバ、尋来ル事うたがひなし。まして遠国遠里の人、我がしらぬ中ニいくばくか仕出し侍らん。
 曲輪を飛出案じたらんニハ、子ハ親の案じ所と違い、親ハ子の作意と各別成物也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.152~153)

 これは許六の自賛で、前にも、「翁の論じて云ク、世間俳諧するもの、此場所ニ到て案ずるものなしと称し給ふ。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.93)と書いていた。
 この時の説明と重複するが、「いけ大根」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 ① 畑から引き抜いたままの大根を地中に深くうずめて、翌年の春まで貯蔵し、食用とするもの。いけだいこ。《季・冬》
  ※俳諧・笈日記(1695)中「寒菊の隣もありやいけ大根〈許六〉」

とある。
 冬咲きの菊は寂しげだが、その隣に大根が埋まっていると思えば、その寂しさも紛れるだろうかと、許六の句は「寒菊の隣にいけ大根もありや」の倒置。「や」は疑いの「や」で詠嘆ではない。「も」も力もで並列の「も」ではない。
 冬の花の孤独に咲く姿は寓意もあり、春を待つ冬大根もその寓意に寄り添う。
 この冬の花の寓意を飛び越えない範囲では、題という箱の上に立っていて、箱から離れてはいない。寒菊から通常連想する範囲を越えているという点では箱の中ではない。箱の上から見渡せば、隣のいけ大根も見えてくる。
 寒菊から通常連想する範囲内のものだと、確かにそれは誰でも思いつくものだし、似たような句が至る所でできているということになる。
 許六のライバルの句、

 寒菊や坪に日のさす南請    洒堂

は寒菊に小春日のイメージで作っているが、「575筆まかせ」というサイトの寒菊のところを見ると、

 寒菊や日の照る村の片ほとり  蕪村
 よろ~と寒菊咲いて日の薄さ  墨水
 寒菊にかりそめの日のかげり果つ 汀女
 寒菊に日ざし来てほぼ午となる 占魚
 寒菊のところに庵の日向あり  年尾
 寒菊の日向日陰を掃きにけり  水巴
 寒菊の日和を愛でて庭に在り  鶏二
 弱りつゝ当りゐる日や冬の菊  草城

などと同じ曲輪の句が並んでいるのが分かる。
 なお、芭蕉はこの許六の句の翌年の元禄六年に、

 寒菊や醴(あまざけ)造る窓の前 芭蕉
 寒菊や粉糠のかかる臼の端    同

の句を詠んでいる。いずれも農家の庭先の景で、むしろ許六の影響を受けた感がある。甘酒は寒い冬の中の暖かさで寒菊の心に通じるものがあり、粉糠のかかる臼は収穫の喜びに結び付けられている。甘酒も収穫祝いに飲んでいたのであれば同じ心を持つことになる。
 「子ハ親の案じ所と違い、親ハ子の作意と各別成物也。」は要するに、親の言う通り受け継いでいる子はそのままだが、子が独立して自分の道を行けば親を越えてゆく、ということだ。

 「師の云ク、発句ハ畢竟取合物とおもひ侍るべし。二ッ取合て、よくとりはやすを上手と云也といへり。ありがたきおしへ也。これ程よきおしへあるに、とり合する人希也。
 師ハ上手ニて、其ままとりはやし給ふ。予ハとりはやす詞ハよくしりたり。案じ侍る時ハ、如何にもよくとりはやし侍る也。是とりはやす詞をしりたる故也。平句猶しか也。
 炭俵・別座敷の俳諧専ラ新ミといふハ、此とりはやす詞の事也。此詞をしらぬ人ハ、遺経の俳諧ニハ通じがたからん。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.153)

 取り合わすというのは近代で言う二物衝突のことではない。二物衝突はシュールレアリズムの自動筆記に近い、たまたま二つの関連のないものを取り合わせることで、そこに読者が意味を与え、今までなかったような世界が生み出されるというものだ。こうもり傘とミシンのようなものだ。
 ここでいう「取合(とりあはせ)」は「とりはやす」とも言い換えている。「とりはやす」はweblio辞書の「学研全訳古語辞典」に、

 「座を取りもつ。にぎやかにする。
  出典枕草子 五月の御精進のほど
  「『むげにかくては、その人ならず』などいひて、とりはやし」
  [訳] 「まったくこのようではあなたらしくもない」などと言って座を取りもち。」

とある。あくまで句に今日を添えて盛り上げるためのものだ。
 そのの取り囃す言葉を選ぶ際、芭蕉は天性のものがあったが、許六は「よくしりたり」とあるようにいろいろと勉強したようだ。
 『炭俵』『別座敷』の「軽み」と呼ばれる新味も、この取り囃す言葉によるものだという。

 「予此ごろ、梅が香の取合に、浅黄椀能とり合もの也と案じ出して、中ノ七文字色々ニをけ共すハらず。
 梅が香や精進なますに浅黄椀    是にてもなし
 梅が香やすへ並べたつあさぎ椀   是にてもなし
 梅が香やどこともなしに浅黄椀   是にてもなし
など色々において見れ共、道具・取合物よくて、発句にならざるハ、是中へ入べき言葉、慥ニ天地の間にある故也。かれ是尋ぬる中に、
 梅が香や客の鼻には浅黄椀
とすへて、此春の梅の句となせり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.153~154)

 「浅黄椀」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 黒い漆塗りの上に、あさぎ色または紅白の漆で花鳥などの模様を描いた椀。
  ※今井宗久茶湯日記抜書‐天正一一年(1583)七月七日「本膳 木具、折しき あさきわん」

とある。芭蕉にも、

 海苔汁の手際見せけり浅黄椀   芭蕉

という貞享元年の句がある。
 浅黄は浅い黄色だが「浅葱」も「あさぎ」と読むので混同されやすい。今日では途絶えてしまったか、この色の漆を見ることはない。陶器の浅黄交趾のことなのかもしれない。グーグルでそれっぽい画像が見つからなかったので、とりあえず幻の椀としておく。
 海苔汁は真っ黒なので、普通の黒塗りや濃い朱塗りの漆椀では映えない。浅黄椀を使うというところに手際があったのだろう。

 梅が香や精進なますに浅黄椀

の精進膾はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 魚類を用いないで、大根、人参など野菜類で作ったなます。
  ※浮世草子・懐硯(1687)一「不断は精進膾(シャウジンナマス)、あるにまかせて魚鳥もあまさず」

とある。梅の目出度さにきらびやかな浅黄の椀、それに精進膾は、う~ん、となってしまう。喪中の正月でもあるまいに。

 梅が香やすへ並べたつあさぎ椀

 これは梅の香にただ並べた浅黄椀があるだけで、まあ殺風景というところか。

 梅が香やどこともなしに浅黄椀

 この「どこともなしに」は梅が香のことで、「梅が香のどこともなしにや、浅黄椀」であろう。

 梅が香や客の鼻には浅黄椀

 これだと正月にお客さんをもてなすために浅黄椀を準備したと、いちおうお目出度い句になる。「鼻」を出すことで、料理の香に混じって梅の香も漂うとなる。あるいは汁に梅の花を添えたか。雰囲気はわかるし梅が香を囃し立てるという意味では間違いない。

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