月もだいぶ丸くなって満月も近い。
今日は晴れたが木枯らしが吹いて、だいぶ木の葉も散った。銀杏は黄色で見ごろだ。
東京のコロナは北海道に続きて多少頭打ちになってきたかな。感染が急速に拡大してもう二週間以上たつから、警戒すればそれなりの結果は出るのだろう。ただ、実効再生産数が1.1では感染者は減らない。夏から秋まで長いこと1.0前後で来たが、1を切らないことには減らない。まだまだこれでは駄目だ。
死者も一日30人ペースになってきている。このままだと年内に三千人を越えるかもしれない。
それでは「俳諧問答」の続き。
「一、とり合のあやうきと云ハ、猿ミのに
から鮭も空也の痩も寒ンの内 翁
角大師井出の蛙の干乾かな 許六
是、空也の痩のとり合にて作る句也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.161)
「あやふし」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典に、
「①あぶない。危険だ。
出典徒然草 一〇九
「いとあやふく見えしほどは言ふ事もなくて」
[訳] (高くて)大変危険に思われた間は何も言わないで。
②不安だ。気がかりだ。
出典徒然草 一八六
「轡(くつわ)・鞍(くら)の具に、あやふきことやあるとみて」
[訳] 馬の轡や鞍などの馬具に、気がかりなところがありはしないかと見て。
③不確実だ。
出典平家物語 五・富士川
「平らかに帰り上らむこともまことにあやふき有り様どもにて」
[訳] 無事に帰京することも本当に不確実なようすであって。
どれも古い時代の用例で、多分許六の時代には「いみじ」「やばい」という同様、良い意味に転じて用いられることもあったのではないかと思う。
「角大師(つのだいし)」は慈恵大師・良源を象った護符で、ウィキペディアには、
「角大師と呼ばれる図像には、2本の角を持ち骨と皮とに痩せさらばえた夜叉の像を表したものと、眉毛が角のように伸びたものの2つのタイプがある。『元三大師縁起』などの伝説によると、良源が夜叉の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるという。角大師の像は魔除けの護符として毎年正月に売り出され、比叡山の麓の坂本や京都の民家で貼られた。」
とある。空也念仏が冬の句なのに対し、角大師は春の句になる。蹲踞の姿勢で右手を差し出した護符は今でも用いられている。コロナ下でで疫病除けとして一部では盛り上がっているようだが、アマビエほどの人気がないのは可愛くないからだろう。
なお、芭蕉の句はから鮭と空也を併置しているだけで、空也がから鮭みたいだとは言っていない。許六は「かな」と言い切ってしまっている。その意味では許六の句の方が「危ない」。失敬だと言われれば弁解できないのでは。
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