今日の満月は半影月食だというが、見てもよくわからなかった。所々薄い雲もかかり、月が何となく暗く見えても月食のせいなのか雲のせいなのかよくわからない。
そういえば今年は富士山に雪が少ない。山梨側でも少ししか白くなっていない。
それでは「俳諧問答」の続き。
「一、歳旦三ツ物の事。予此三ツ物ニおいてハ、よく工夫して、年々引付ニ出し侍れ共、誰一人秀たると云人もなし。
師の手伝し給ひたる三ツ物を見て、慥ニ決定し、年々花やかに仕出したれ共、見るものなけれバ、其分にて反古とハ成ぬ。口おしし。
此三ツ物俳諧を、常式の俳諧とおもひ給ハバ、大きニあやまり也。三句にて百韻・千句の代をするなれバ、容易なる句を出して、見らるるものにあらず。故ニ第三、名所など結びたる事も、此格式と見えたり。
予三ツ物をする事、天晴天下ニ肩を双べきものあるべしともおもハず。誰々がするも同じ事とおもひ給ふ人ハ、三ツ物の仕やう見えぬとしれたり。
されバ大綴を見るに、三ツ物仕様しりたる人、一人もなし。一人もなしとハいはれまじなど云人もあらん。しかれ共、一句か二句ハたまたまあれ共、全篇血脈をする人ハ希也。
脇・第三猶大事也。皆初春の季を入たる迠ニて、常の俳諧に少もかハらず。あまつさへ、初春の発句に、初春の第三するやからも、まれまれ見えたり。脇・第三又一風あり。常式の句見らるる物にあらず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.165~166)
歳旦三ツ物というと、
左義長や代々の三物焼てみん 尚白
の句があるように、ほとんどは左義長(どんど焼き)で焼かれてしまったのだろう。毎年たくさんの俳諧師が歳旦三ツ物を大量に刷って配った割には、ほとんど現存しない。
「師の手伝し給ひたる三ツ物」は李由・許六編『宇陀法師』(元禄十五年刊)にある、次のものであろう。『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豊隆監修、中村俊定校注、一九六八、角川書店)に収録されている。
梅が香や通り過れば弓の音
土とる鍬に雲雀囀る
陽炎に野飼の牛の杭ぬけて 翁
この中村注によれば『一葉集』『袖珍抄』には発句を毛紈、脇を許六としているという。ネット上の『許六画芭蕉書三つ物』(麻生磯次)によると、発句は許六、脇は洒堂だという。
発句は梅が香に弓始(ゆみはじめ)で正月の目出度い景色としている。弓始はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 年の始め(正月七日)や、弓場を新設した時などに、初めて弓射を試みる武家の儀式。弓場始(ゆばはじ)め。《季・新年》」
とある。
脇は正月の風景をそのまま受け継いて初春の季語を入れるのではなく、あえて晩春とも取れるような「雲雀囀る」と展開する。
「脇・第三猶大事也。皆初春の季を入たる迠ニて、常の俳諧に少もかハらず。あまつさへ、初春の発句に、初春の第三するやからも、まれまれ見えたり。脇・第三又一風あり。常式の句見らるる物にあらず。」
とあるように、初春の句を三句連ねるのではなく、初春から晩春への季移りが大事なようだ。そのために、脇は第三で晩春に展開しやすいように配慮することが大事なのだろう。
第三は雲雀囀る農村風景に陽炎と野飼いの牛を付けるが、この取り合わせだけでなく「杭ぬけて」と放牧場の杭が抜けて牛が逃げ出すところに一ネタ入れている。
三つ物は普通の俳諧の発句・脇・第三とはちがい、第三が同時に挙句になると思った方がいいのだろう。芭蕉は見事に最後に落ちをつけている。
歳旦発句は目出度く、脇は第三の落ちを引き出すために、晩春への転換の伏線を敷きながら穏やかに流し、第三はここで終わらせるという意思を以て落ちをつける。これが三つ物の仕様と言っていいのだろう。第三を名所で締める場合もあるという。
「一、当時歳旦の発句、歳旦にてなき句大分あり。師云、歳旦と云ハ、元日明けたる時の事也。多ク歳旦の句にてなしといへり。『正月三日口を閉、題四日』と前書して、
大津絵の筆のはじめや何仏
と云句出たり。此前書にて、後代歳旦の格式ニセよと云心ありて書ると、慥ニ決定し侍ぬ。
引付帳の内ニ、七種・子の日、あるいハ元日・二日・三日など云題を出して句あり。是大キ成あやまり也。師説なき故也。子細ハ元日明たる時の事と云にてしれたり。遠国の歳旦など入るるも、はばかるべき事也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.166~167)
歳旦は本来は元日明けた時のこと、つまり一月一日の朝のことだが、実際にはかなり幅広く正月の句のことを歳旦と呼んでいる。先の「梅が香や通り過れば弓の音」の句も弓初めの句ならば正月七日の句になる。実際に一月一日の朝だけを歳旦にしたのでは、歳旦帳の発句は初日の出しか詠めなくなってしまう。
そこで芭蕉さんも元旦の吟でなくても題をつけることで歳旦の各式にせよ、と言ったのだろう。
正月三日口を閉、題四日
大津絵の筆のはじめは何仏 芭蕉
の句は元禄四年の句で、仏画を主に書いていた大津絵の絵師は、四日の筆始めに何を書くのだろうか、という句で、前書きを付けることで歳旦と同格にした。
「引付帳」の引付(ひきつけ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「④ 俳諧師などが自分の歳旦帳の末に友人・門人などの句を付録として掲載したこと。また、その句。
※俳諧・延宝六年三物揃(1678)「俳諧惣本寺引付 歳旦」
とある。筆始めや弓初めは良いとしても、七種・子の日はさすがに歳旦とはし難く、逆に三が日にわざわざ元日・二日・三日などという題をつける必要もない。これは暗黙の裡に歳旦が元旦に限定されずとも三が日のものと定まっていたからだろう。四日以降のものは題をつけた方がいいということと、七種・子の日は正月三が日とはまた別の行事として認識されていたということだろう。
今でも「元旦」という言葉に関しては、年賀状で正月の午前中に届かないものについては使用しない方がいいということが言われている。「旦」は朝日を意味するから、歳旦と同様元旦も一月一日の朝を意味する。ただ、年末の早い時期に書いているのに「元旦」と書くのもなんか変な気もするが。