今日は十四夜で昼は晴れていたけど夕方になって雲が広がった。最初は雲に霞む薄月が見えたが、だんだん雲が濃くなってゆく。明日は雨なのか。
コロナの方も横ばいというのか、減るでもなく増えるでもなく、照りもせず曇りも果てぬころなかな。
「舞都遲登理」ほうはまたちょっとお休みして、俳諧を読んでみたい。
名月といえば元禄三年、猿蓑調の頃の歌仙を読んでみようと思う。八月十五日、膳所義仲寺の無名庵での興行された芭蕉、尚白両吟で、発句は、
古寺翫月
月見する座にうつくしき顔もなし 芭蕉
まあ、野郎二人の興行では「うつくしき顔もなし」だろうな。
脇。
月見する座にうつくしき顔もなし
庭の柿の葉みの虫になれ 尚白
蓑虫というと、芭蕉の貞享四年の句に、
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 芭蕉
があり、伊賀の土芳が貞享五年三月に蓑虫庵を開いたときに、「蓑虫の」の句の自画賛を送られたというが、現存しない。これとは別に鯉屋杉風のところに伝来する芭蕉庵を描いた自画賛と英一蝶画の「みのむしの発句賛」が現存している。
芭蕉の蓑虫の句を意識したのであろう。この無名庵にも柿の木があるから、柿の葉で蓑虫になれば芭蕉庵や蓑虫庵と肩を並べることになる。
第三。
庭の柿の葉みの虫になれ
火桶ぬる窓の手際を身にしめて 尚白
火桶は丸い木製の火鉢で、漆を塗って仕上げた。蒔絵を入れた高級なものもあった。
ここでは漆を塗って仕上げる職人の手際を詠んだもので、製作中の火桶だから冬季にはならない。「身にしめて」で秋になる。
四句目。
火桶ぬる窓の手際を身にしめて
別当殿の古き扶持米 芭蕉
別当は神仏習合の際の神社を管理する僧のことで、修験の寺にも別当がいた。
前句を完成した火桶を納品する場面とし、別当から扶持米をもらう。
五句目。
別当殿の古き扶持米
尾頭のめでたかりける塩小鯛 芭蕉
ここでいう小鯛はチダイではなく単に小さな鯛という意味だろう。保存するために塩漬けにする。塩漬けにすると小さな鯛がもっと小さくなるが、それでもちゃんと尾頭がついていてお目出度い。
別当は仏者だが、他人の殺生した魚は食べる。ただ、贅沢はせずに、塩漬けの小鯛くらいに慎ましく止めておく。
六句目。
尾頭のめでたかりける塩小鯛
百家しめたる川の水上 尚白
これは尾頭を「御頭様」に取り成しての展開だろう。百家を従え川上に屋敷を構えている。
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