さて、鈴呂屋は特定発句だけを分断して論ずることなしに、立て句だろうが(この言葉は当時の人は使っていない)付け句だろうが全部読む。これ、信念。
まあ、多分外人を相手にするときには、当時の文化習慣に深く根差した「あるあるネタ」や、日本語を知らないと分かりにくい言葉遊びなどどうせわからないだろうってので、わかりやすい写生説で押し切るつもりなのだろう。俳句の国際化には最大公約数的な解釈が必要というのは、まあ、わからないではない。でも世界の人は本当にそれで満足しているのかな。
さて、芭蕉の『奥の細道』の旅の途中の小松滞在で、二十五日には「しほらしき」の世吉が興行された。そして翌二十六日の曾良の『旅日記』にはこうある。
「廿六日 朝止テ巳ノ刻ヨリ風雨甚シ。今日ハ歓生方へ被招。申ノ刻ヨリ晴。夜ニ入テ、俳、五十句。終テ帰ル。庚申也。」
庚申(かのえさる)の夜には人の体の中にいる三尸の虫が寝ている間に抜け出して、天帝にその人間の罪を報告するというので、それを防ぐために大勢で集まり談笑しながら夜を徹する。これを庚申待という。
この五十韻興行も、庚申待ということで夜を徹して行われたのであろう。
発句。
ぬれて行や人もおかしき雨の萩 芭蕉
「おかしき」は古語で用いられる「面白い、趣がある」という意味。
雨の中で濡れていても、周りに萩の花が咲いていれば楽しい気分になる。
この日は昼間は激しい雨が降り、夕方には止んだが、昼間の雨を引き合いに出して、雨の中をたくさんの人が集まり、さながら萩の原を行くようです、という挨拶の意味が込められている。
脇。
ぬれて行や人もおかしき雨の萩
すすき隠に薄葺家 亨子
亨子は曾良の『旅日記』にあった歓生のこと。
雨の萩の原にススキの家で雨宿りできれば、濡れて行く人もじっくりと萩の花を観賞できる。
ススキに囲まれた中のススキで葺いた家と、ススキ尽くしで語呂がいい。
脇句の挨拶としては、いかにも粗末な家ですと謙遜しているが、実際大勢集まっているところを見ると、結構立派な家だったのだろう。
第三。
すすき隠に薄葺家
月見とて猟にも出ず船あげて 曾良
ススキで葺いた粗末な漁師の家でも、今日は月見ということで猟を休む。
昔から水産資源を保護するために、いろいろな名目で禁漁の日もあったのだろう。それを破ると「阿漕が浦」つまり阿漕な奴ということになる。
四句目。
月見とて猟にも出ず船あげて
干ぬかたびらを待かぬるなり 北枝
月明かりで辺りを遊び歩きたい気分だが、干した帷子がなかなか乾かない。
五句目。
干ぬかたびらを待かぬるなり
松の風昼寝の夢のかいさめぬ コ蟾
コ蟾は「しほらしき」の巻に登場した山王神主藤井(村)伊豆、皷蟾のこと。
松風の寂しげな音に夢を破られ、目を覚ますが、帷子はまだ乾いていない。
六句目。
松の風昼寝の夢のかいさめぬ
轡ならべて馬のひと連 志格
志格も「しほらしき」の巻に参加している。
松の木の下で一休みしていたのは馬を曳いてやってきた一団だった。当時の物流を支えてきた馬子たちを労っての一句だろう。今で言えば道の駅で休む長距離トラックの一団か。
七句目。
轡ならべて馬のひと連
日を経たる湯本の峯も幽なる 斧卜
斧卜も「しほらしき」の巻の参加者。
馬の列を温泉街の景色とする。
八句目。
日を経たる湯本の峯も幽なる
下戸にもたせておもき酒樽 塵生
塵生も「しほらしき」の巻の参加者。
飲めないのに酒樽を持たされて、そりゃあ災難だ。飲める人はみんな出来上がっちゃったかな。
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